廃墟ツアーから見えてきた私たちの未来【前編】
2022年7月23日、暴風雨で中止の危機もあったこの日に北海道釧路市にて「廃墟ツアー」を開催しました。少し長くなりますので前後編にしてお伝えします。
廃墟ツアーを開催した経緯は、別のnoteに書いてますのでぜひそちらも合わせてお読みください。
定員40名。キャンセル出てもすぐに満席になる人気ツアー
廃墟ツアーがどれほどのポテンシャルがあるかわからなかったのですが、イベントサイトオープンと同時にほぼ満席になるという状態でした。
廃墟マニアの方は中に入ったりすることを期待されていたかもしれませんが、今後期待するツアー内容を模索するためのプレツアーなので中には入らないということも事前にお知らせし、それでもこのツアーを楽しみにしてくれる方が多く申し込みしてくれました。
スタート1ヶ月前くらいからLINEオープンチャットを立ち上げ、街の情報交換やイベント開催の注意事項など発信をし、少しずつ交流を行いました。
当日は暴風雨。それでも一緒に歩いた33名の参加者たち
本来は駅裏から歩く予定でしたが、あいにくの暴風雨。集合場所の野外は難しかったので、釧路駅構内に集まりました。
今回ガイドをお願いしたのは釧路観光ガイドの会木村会長です。
かつて栄えていた頃の駅前の商業ビルの写真や、駅を起点とする釧路の街の成り立ちなどを15分ほど聞いて北大通をストレートに歩くツアーがスタートしました。
木村会長にお話いただいた駅の話だけでもかなり興味深いものがありましたので、改めて私も少しだけ調べました。
釧路駅が開業したのは明治34年7月(当時駅があった場所として和商市場にほど近い幸町公園でC58型の蒸気機関車や記念塔がみることができます。)で、貨物駅として「浜釧路駅」という名称でしたが、現在の場所に移転し「釧路駅」となりました。現在の場所へ移転したのは大正6年。
この地域は尺別炭鉱や湧別炭鉱といった近隣の炭鉱が栄えたこともあり、釧路駅は物流の中心となっていき、今では考えられないほど往来もあり賑わいがあったそうです。
そして、現在の釧路駅もとても貴重なものだと知りました。現在の駅ビルは1961年(昭和36年)に建てられた民衆駅。みなさん民衆駅ってご存知ですか?
日本で現存する民衆駅は釧路駅が最後とのこと。
かつて地下にはステーションデパートというのがあり、私もその存在を知っています。当時あった「まりも食堂」で同級生がバイトをしていた思い出もあります。懐かしい。
このように駅自体が賑わっていたため、駅弁を提供していた釧正館(現在は釧祥館と社名が変更となり別の場所で営業中)ビルなどの名残は、駅中心として街づくりが進み大型デパートのような建物が存在した証なのだなと回想しました。駅前に現在は空きビルが多く存在してしまうのはこのような背景なのですね。
北大通は歩くからこそ良さが見えてくる
悪天候のためルートを変更し、駅からまっすぐ北大通を歩くことにしたので、予定時間よりも早く駅を出てすぐ徒歩3分の「なつかし館 蔵 駅前店」へお邪魔しました。
なつかし館は釧路に複数店舗ありまして釧路駅の中にもあるのですが、今回は人数も多いため、大きな店舗である駅前店にお邪魔しました。
このなつかし館がある場所は、かつては北洋銀行(さらに前は札幌銀行と聞きました)だった建物。外装はリノベされていますが、中はノスタルジックな雰囲気に包まれていました。
釧路のランドマークとしての夢が詰まった近代における貴重な資料館
入場料がかかりますが、500円で世界で2番目に美味しいおやきと銘打ってるおやき(釧路ではいわゆる今川焼きをおやきといいます!)とお茶が付いてます。(世界で2番目なのは、Webサイトに理由がありますのでぜひみてください)
入り口にはアイヌ文化に触れることができる調度品の数々が展示されてます。
このなつかし館の館長は本業が左官業の中野吉次さんです。
中野さんが半世紀かけて収集した個人のものなのですが、本当にすごいです。ディスプレイするだけでもそうとうな時間を費やすと思うのですが、複数あるなつかし館にも収まらないくらいまだまだあるとのこと。
また、ここにあるもの全てがかなり貴重で、出版社の方などが資料館として利用することもあると、中野吉次さんの息子で現在Uターンをしてここを継いでいる中野勝弘さんはおっしゃってました。
そして、「これだけ貴重な近代の歴史が詰まってる場所は、父が夢見る釧路のランドマークとして十分にやっていけると思っています。」と自信を持って語っていただきました。
私も本当に素晴らしい場所だと思ったので、また改めて時間をたっぷり用意していきたいと思います!
なつかし館で釧路の街の記憶を辿ることができます
昭和51年(1976年)生まれの私は、まだ賑わいのある時代をうっすらですが覚えています。
私が学生時代(1980年から1990年代)は釧路も本当に賑わっていて、「マチ(北大通中心部)」というのは親と行く特別な場所でした。
ネタバレになってしまうのでこれ以上載せませんが、なつかし館は釧路の人、昭和世代以外でも楽しめるすごい場所なので、なかなか入りにくいかもしれませんがぜひ行ってみてください!
廃墟ツアーでを廃墟を愛でるだけじゃなく、こういった昭和・平成レトロを堪能できるものとなりました。ご協力ありがとうございました。
空きビルが目立ち始める十字街交差点方面へ
北大通がかつて栄えた記憶を釧路出身、在住の参加者同士で街並みを指さしながら、会話して十字街交差点までやってきました。
かつて北大通は金物店が多くあり、現在のDCMホールディングスは「石黒金物店」として釧路に創業され、石黒ホーマ、ホーマックとなり大きく成長されてました。
炭鉱のHUB、港に降りた漁師のはぶりの良さ、今では考えられないレベルで人もお金も動いていたそうです。
こうして時代とともに釧路は成長し続け、物流の拠点や炭鉱、水産、製紙工場と産業が栄え、昭和50年に人口20万人を記録しました。
シャッター商店街と違う、大型店舗の空きビル問題
小さな店舗そのものが連なってシャッターがしまっている商店街やアーケード街と違い、釧路市の空きビル問題は複雑な課題があります。
市としても決して放置しているわけではなく、今回ツアーを行うにあたり、蝦名釧路市長とも少しお話してみました。
また別の市役所職員からもこのような声がありました。
現在は16万人と人口も減り、中心街の機能として役割が変わってきていると木村会長もおっしゃっていました。
その街の機能の変化にどうやって私たちが取り組んでいくかを考えながら、かつて栄えた街並みを感じながら、2番目の休憩地点である創業87年の喫茶店リリーに向かいました。
それぞれが感じたことをMOO2階にてワークショップを行いました。後編は喫茶リリーで冷えた体を温めながらひと休憩し、ワークショップで整理したことを書いていきたいと思います。
追記;後編もあります。
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