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廃墟ツアーから見えてきた私たちの未来【後編】

2022年7月23日に開催した「廃墟ツアーIN釧路」の後編になります。
前編はこちらからどうぞ

創業87年、喫茶店リリーでひとやすみ

釧路駅からおよそ750m。その間にも散見された空きビルを見ながら雨の中の移動し少し冷えた体を休めるために喫茶店リリーに立寄りました。

この人数、入るの?とみなさんドキドキで地下に降りて行きました

中に入るとオークウッドの調度品が丁寧に磨かれ、昭和にトリップしたような素敵な空間が広がっていました。40人が余裕で入る店内。
創業当時はいつもこれくらい賑わっていたようです。

ぴかぴかの店内

創業は昭和10年。現在はママが1人で切り盛りしており、後継者はいまのところいないとのこと。リリーも存続の瀬戸際に立っている場所です。

この日も常連さんはカウンターにいらっしゃいました。お騒がせしました。

釧路は純喫茶の名店が多い街

みんなそれぞれの席でしばしお話を
500円のコーヒーで釧路のことを語ります

釧路にはこのリリーのほか、本当に多くの純喫茶の名店が現存しているのも特徴です。リリーの他にも1972年創業の「仏蘭西茶館(ふらんすさかん)」など名店がこの中心街にはあります。Webサイトなど持っているところが少ないのですが、市民団体クスろが作った釧路でなが〜く人気!ロングヒットフード動画で、昭和懐かしい釧路の雰囲気を見ることができます。

今でも昔の佇まいを残したまま営業する昭和ノスタルジックなこの貴重な場所をどうしたらいいか、そんなことを考えながらコーヒーで体を温めました。

長年歴史を共にしているシルバーの限定品のレジスター。レジひとつでも物語がありそうです。

私たちの時代。今しか見ることができない昭和の文化遺産

リリーを出てすぐに立ちはだかる廃墟は、丸ト北村という百貨店跡です。外壁が崩れ危険な状態なので、この周辺はバリケードがされ歩行者の安全を確保しています。

当時は学生服を買いに来てました。

丸ト北村は、明治39年丸と北村呉服店として創業したのが始まり。その後昭和42年に百貨店営業許可を取得して、百貨店営業に入り、昭和50年約9億円を投じて増改築して今の大型百貨店の佇まいとなった。

wikiぺディア参照

私が生まれた昭和51年。歴史を振り返ると、ちょうどこのあたりが釧路のピークであり、同時に陰りも見えてきたことが垣間見れます。

資料:釧路市の人口分析と将来推計 H27.8.21 釧路市総合政策部都市経営課 

丸ト北村は昭和53年、財産保全命令を受け、事実上倒産しました。百貨店法に基づいて営業した北海道内の企業としては初の経営破綻だったとのこと。そこから経営再建し営業を続けましたが、2000年2月に閉店しました。今から22年も前のことなのですね。

いつの時代も、常に変化し続けるのが世の中。未来永劫はないのですね。

戦後、日本人らしさを武器に産業を構築し、欧米に肩を並べる経済大国になる道を信じて疑わなかった時代。人が増え続ける、景気が上がり続ける、そんな時代を知る人にガイドをしてもらったことで、廃墟から届くメッセージの受け取り方も変わりました。

最終地点、MOOへ移動

今日のツアーについてアウトプットするため、私たちが運営をスタートさせるMOO2階共創スペースへと向かいました。ここもまた再生を考えている場所です。

4テーブルになんとなく分かれて、感想のシェアをスタート

それぞれのテーブルで、さまざまな意見、アイディアが活発出て、時間が足りないくらいでした。

テーブルごとに付箋にどんんどん書かれて行きます
釧路の街に感じた魅力、懐かし館・リリーの感想なども
一部抜粋
一部抜粋

内容をピックアップすると

・廃墟の全盛期を知りたい
・古地図と今を見比べたい
・昭和レトロ
・歴史として廃墟は不可避
・釧路だけじゃない問題。廃墟問題は「既視感」

昔を知りたいといった欲求が出て、自分たちが求めるもの、求める価値について考えることができたようです。「自分以外の視点を持つこと」で、見える姿や感じることが変わりアイディアも浮かびます。

・全盛期の古地図で作った紙袋を統一的に使う
・空きテナントでのサバゲー
・古地図散歩
・ガイド付きであれば有料化してもよい

出てきたアイディア
年齢、住んでいる場所を超えて意見が飛び交いました。

昭和の最盛期と衰退の歴史」が、日本各地で問題となっている「廃墟課題」なのだと改めて認識させられます。
私のような昭和後期生まれの人にとっては、その最盛期の記憶を残しつつ懐かしみますが、そもそも若い世代は生まれた時から「廃墟化された街並み」しかに知らずに育っています。
なぜあの頃の北大通の賑わいをもう一度!」と大人がこぞっていうのかは理解できなくて当然ですね。
こういった世代間のギャップから、釧路ならではの魅力発信をもっとできたらいいなと思いました。

ツアー参加者属性と空きテナント活用の課題

参加者の属性

今回、釧路市内外からそれぞれの視点から意見をもらうことができました。
釧路からが若干多めでしたが、東京や札幌方面から参加など他地域からの参加もありました。
悪天候などによって参加を見送られた方も、キャンセル時には一言メッセージをくれるなど参加意思の熱量の高さを感じました。
また、市役所でも長期滞在者向けに案内を出してくださっていたようで、行政が協力してくれていたことも知り嬉しかったです。

釧路市市民協働課から紹介されて途中から参加された夫婦

6月こんなツイートがバズりました。

それを釧路の人たちはとても悲しく、もっといいところがあるんだと知って欲しいと思ったはずです。私もその1人でした。
でもこれだけ「ヤバい釧路」として注目を集めたのであれば、「廃墟ツアー IN 釧路」という刺激的な名前にして関わりシロを増やそう!と勢いで立ち上げました。
結果33名もの人が関わり、真剣にこの街のこと、そして日本全国にある廃墟について時代の流れと合わせて考るきっかけになった点は、成功だったのではと思っています。

一方で、「廃墟(空きテナント)は活用できるのか」について、後日、釧路倶楽部のオーナーで、釧路港文館の管理なども行う湯城誠さんとお話しする機会をいただきました。湯城さんは不動産コンサルタントとして全国の大型施設の開発やまちづくりに携わってきた不動産のプロです。

古い建物は建物の構造以上に設備の劣化が非常に進み、水回りなど配管等を入れ替えて使うなどしないことにはまともに使えない状態の場合が多くあります。
それを使える状態にするための設備投資を考えると多額の費用かかるので、小さなテナントを再稼働させるのは難しい場合が多いのです。

また、北大通を歩こう会(次回、2022年8月18日開催)を長年行っている岡澤敦子さんともお話しをしましたが、北大通りで頑張っているお店の中でも、雨漏りの問題があったりと苦労もありながらということでした。
それぞれが頑張ることで、メインストリート北大通を守ってくれているのですね。

廃墟ツアーを終えて

ツアーについてアンケートを取った結果、「改善点はあるが有料化できそう」という回答を得られました。

アンケート結果

人が集まったことにより、色んな方の意見やアイディアが聞けるのは凄く楽しかったです。行ったことなかったリリーさんや、なつかし舘もまた行きたくなるほど、見どころがあり、居心地のいい雰囲気でした。
できない、こーだったらいいのに。の理想だけじゃなくて、そこから噛み砕いて行動出来るような街づくり。それは誰にとって、どこをターゲット(市民なのか、観光客なのか)にを持った上でガイドツアーだったり、街歩きに生かせて行ければいいのかなと思いました。
また機会があればぜひ参加させて頂きたいです。
とても良いツアー企画をありがとうございました☺️

参加者の声

朽ちていくコンクリート群の景観は、昭和が生み出した文化遺産。人類史において初めての風景か、と愛おしくなりました。

Natsumi MikiさんのFBより引用 

人類史において初めての風景、それが私たちが生きる21世紀の時代にある廃墟課題なのですね。


故郷を愛する人たちはたくさんいる

2018年に廃墟 de Party というウェディング企画を開催したThe Anchor(ジ・アンカー)さんの記録動画があります。
今このビルは、「釧路まちなか横丁」として地元出身のオーナーが株式会社Serve&Dreamという運営会社を立ち上げ、見事に再生しています。

みな、自分たちの街のことが好きで、誰も関心を持っていないわけではなく、大小なりとも寂れていく地元なんとかしたいと考えている人は世代を超えて多くいます。
昭和レトロな雰囲気を残しながら、そのむかし、金物屋がたくさん立ち並んでいたという小商の北大通りの街並みに戻るには色々なハードルがありそうですが、知恵を絞りながらチャレンジしていく、ポテンシャルの高い釧路として、やる気と夢を持っていきたいです!

廃墟ツアー参加者集合写真

今回悪天候などで参加が叶わなかった方、ぜひまた一緒に歩きましょう。


今回アウトプットした場所のキックオフイベントを、9月23日(金)13時から開催します。誰でも参加できるイベントです。たくさんの方のご参加お待ちしております!

MOO2階、この施設の名前が決定しました!
こちらもお時間がある時にぜひ読んでみてください。


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