もうおいしいと笑う日はこない?
味がしない。回転寿司に来て好きな物を食べているのに味がわからない。
たったひとりで騒がしい店で座っていた。
味がしない寿司を食べながら闇の記憶から6歳の息子が顔を出した。
息子と二人だけになってから、私はとても苦しかったことを思い出した。
息子と二人の外食はとても難しくて食べた気がせず、笑うこともなかった。
私が疲れてブスッとしていてもぱぱはいつも笑顔だった。
自分の方がお腹が減っていても、私と息子を優先してくれた。
もうそんな日は戻らないし、新しい食事の時間ができる訳でもない。
あの頃の息子はまだ自分のことを伝えるのも上手くなくて、私の話を聞く時にはいつも顔をゆがめていた。
おいしいね、と言っても何も答えてはくれない年齢だった。
私はぱぱを亡くしてから、日々のおしゃべりもできなかった。
私には息子と娘とぱぱしかいなかった。
娘は彼氏のところに行って戻らなくなって、私は息子と二人だけで過ごしていた。
言葉の行き来は6歳では難しくて10歳くらいまで、一方通行だったことがだんだん思い出されてきた。
ひとりで外食したのは数えるほど。
初めて大好きになった人と別れた時とぱぱともうご飯が食べられないと本当に理解した時。
そして息子が大きくなって、また私の話を理解しようとしなくなった日。
どれもたまたまひとりではなくて、本当に本当にひとりになってしまった時だった。
顔を見つめながらもお互いを理解しようとしない時、酸素がなくなったように溺れて沈む。
呼んでも返事をしてくれないのはあの時と同じだ。
あの時この子を命懸けで育てようと誓ったのに、小さな手はいつの間にか大きくてゴツゴツしていてびっくりした。
いろんな記憶は味をもっとわからなくさせた。
私はこれからひとりになるのだ。
初めてひとりになるのだ。
老後のことを心配したあの日に戻ってみたい。
おいしいと思える日がいつかくるのだろうか。
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