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【映画】アリ・アスター監督「ミッドサマー」が出す「不快」感について。
よし!映画の感想を書こう!でも、何から書こうかな?と考えたら、
やっぱりホラーがいいよね〜という結果になりました。
ホラー映画の何がいいって、人間の恐怖や不安が何から生まれるのかを考えさせてくれることで、翻って自分が無意識に当たり前だと思っていたことに気づかされることですね!
ただ、その最初に選んだこの「ミッドサマー」がホラーのジャンルなのかと言われると、ちょっと頭をひねりたくなるところはあるのですが、
まぁ、1番直近で見た映画だし、いいじゃない!ひぁうぃごー!
感想①映画館を埋め尽くす若者たち 帽子脱いで
アリ・アスター監督が昨年発表した「へレディタリー」を見て、
「なんだよ!トニ・コレット顔怖すぎるよ!勘弁してくれよ!」ってなった私は、もちろん「ミッドサマー」の公開も首を長くして待っていたわけで。
「まぁ、まだそんな宣伝もされてないし、大丈夫でしょ」と、コロナの恐怖に怯えながらも、頑張って見に行こうと決意。映画館に着いて、いざ席の予約をしようとしたら、2時間前にも関わらずもう半分くらい席が埋まっていて、しかも、2人組の予約ばかり…「どういうこと?」と思いながら、唯一おひとり様ばかりの列を見つけ、そこを予約しました。
上映直前に劇場に入ってみると、予約時よりもさらに多くの人がいて、しかも年齢確認必須な感じの若いグループやカップルばかり。私は、Lサイズの烏龍茶をぐびぐび飲みながら、「ホラー映画もまだまだ捨てたもんじゃないな、コロナ怖いな」と思いながら、映画を見始めたのです。
そうしたらもう、映画開始直後から、
前の席に座ったカップルの男の子の野球帽が邪魔!!
なんか野球帽のてっぺんにあるポッチみたいなやつが気になる!
状態。
しかも、この子がグロいシーンになる度に、彼女に対して優しい笑顔で、「見れてる?」みたいなアイコンタクトをするのですが、
横向くな!!お前の帽子のツバがスクリーンにダダ被り!!!でした。
マジで映画見る時は帽子脱いで!劇場内は暗くなりますので、髪の乱れも気になりませんですので!まぁ…まぁ、でも、こんなに若者がいっぱい入っている映画は、「君の名は」以来だから、映画館に来る若者が多いことは嬉しいことだね。
これが、第1の感想。
感想②ハーモニーの恐怖
ということで、ここから映画の内容の感想になるのですが、
まずこの映画見終わった直後の感想は、
「何見せられたんや!!」
でした。
もうマジで、「私、何見せられたん?何やねんアリ・アスター!頭おかしい!」ってぷりぷりしながら、劇場を出ていきました。
そのあと、タバコを吸いながら、少し冷静になって、何がこんなに嫌な感じだったのか、と考えると、やっぱりあの村の共同体の過剰なハーモニー・共感が生み出す不快感。
(前作の「へレディタリー」の時もそうだったのですが、アリ・アスター監督の映画の「嫌な音」は、今作でも遺憾なく発揮されていて、
「何の音か全然わからないけど、音がいやすぎる!」
っていうのはもちろんあったのですが…)
今作の舞台となったあのスウェーデンの明るいカルト村で行われる人を殺しまくる儀式(未だにバイキングとか言ってて、スウェーデンの人怒んない?とも思った)で、人が傷んだり死んだ時に村民が一斉に慟哭する感じ。
一見、残酷に人を殺すのではなく、その痛みを共感することのできる心あたたかな人間のように見せるけど、実際は、そいつら怪我もしてないし死んでもないじゃないですか、ねぇ?
主人公のダニーがクリスチャンの性交シーン見て号泣してる時に、村民の子たちが、何も聞かずに一緒にビエビエ泣くシーンも、いやいや、雰囲気で分かってるかもしらんけど、何か一言くらい尋ねてよ、って感じじゃないですか、ねぇ?
人間は、痛んだり、死んだりするわけですが、私たちは他者のその痛みを完全に分かることはできませんよね。でも、完全に分かることはできないということを前提としつつも、それでもなおそれを分かろうと、寄り添おうとすることが、痛む当人にとっての励ましや救いになったりするんだと思うんですよ。自分の痛みを分かろうと悩んでくれる他者がいることが。
それを、そんな苦悩や葛藤もなく一足飛びに「わかるわかるよ〜」って言われたら、なんか嫌な感じするじゃないですか。「いやいや、私とお前は違うし」的な。
だから、こういう過剰な即レス共感の持つ嫌さって、まるで自分の感情が奪われた、盗まれたみたいな気持ちなんじゃないかなと。あの、自分を自分足らしめてくれてる証明のような「私の感情」がですよ。やだやだ!私が消滅するみたい!まぁ、最後周りが全員泣いてる中で、ダニーだけがにやりと笑っていたのは、励ましになりましたよ…
もちろん、共感するってとても大事なことだし、言葉がなくとも分かり合う関係は紛れもなく存在するとは思うんですが、少なくとも村落共同体レベルの人間関係では、完全なハーモニーを生むのは無理!
「自分と他者は違う」っていう意識が必要なのは、他者との違いを意識してはじめて、「相手のことを分かろう」っていう行為の原動力になるわけで。そうしないと、いつまで経っても「分かったつもり」のままで、なんとなくその場の空気を取り持つための行為でしかないんじゃないかな、と。もうそれの行き着く先は伊藤計劃の『ハーモニー』!全体主義!悪夢〜!
ところで、ここまでの話については、平田オリザさんの『わかりあえないことから』(講談社現代新書、2012年)がおすすめ。
やっぱり、人間はせっかく言葉を使える動物だから、言葉を使わなきゃですよね。分かりあえたフリするのも楽なので、なかなか難しいところではあるのですが…
感想③道具になることの恐怖
もう一つの「嫌さ」は、人間が「道具」として対象物化されてしまうことの「イヤさ」がありましたね。しかも、この映画はそのイヤさが男性の方が強いと思いました。
最たるものは、クリスチャンのあの強制性交シーン。映画見た後、男性と映画の感想語っていたら、「あのシーンだけはもう不愉快すぎて見てらんなかった…」と。
もう、あのシーンのクリスチャンって完全に、村民にとっての生殖のための道具でしかなくて。
道具化される恐怖っていうのは人間常にあると思うんですよね。人間は、手段じゃなくて、目的として尊重しなければって言ったのは、カントだったか。
ただ、こういう風に道具/対象物として見るまなざしを受けるのって、相対的に女性の方が多くて(女性器の名前で女性を表すネットスラングとか、便器とかいう表現とか如実すぎ)、男性って色んな媒体でも滅多にそう描かれないし、社会的にもそう扱われること少ないだろうし。
なんか、ダニ―の号泣シーンで女性のコミュニケーション能力を讃えているから、フェミニスト映画だ!みたいな意見もあるみたいだけど、私は上記②の理由でそこまでそれは、思わなくて。ただ、この対象物化される不快さを男性も味わうものであった点では、フェミニズムとも見れるのかな、って感じでした。
前作のへレディタリーでも男性はあくまでも「器」としてしか描かれてなかったですよね。監督本人は、明確な意図があるとは言ってないけど、どこからあういう表現が出てくるんですかね〜。
ということで、
このミッドサマーを見た後の「イヤさ」はすごかった!
そして、だからこそ、面白かった…別に、積極的に人に勧めるような映画ではなかったですが(笑)
はぁ、最初の記事だから、気合い入れて書きすぎた。
次は、見終わった後「私は、今何を見たんだ…」とおんなじ感想を持った最高のエンタメ映画、ナ・ホンジン監督の「哭声」の話をしたいんだけど、息切れしないようにしないと。