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おじいはダメでも良かった話

どうも、この世の全てのイレギュラーを生きるふたです。ユニークな9歳長男、2歳次男を育てています。

私の父は戦後生まれのThe亭主関白。

今の世なら間違いなくモラハラで、締め上げられて叩きのめされているだろうおじい。

若い頃はBeatlesに傾倒し、Nikonのカメラをいじり、髪を肩まで伸ばして
米軍と朝まで酒を飲み交わしていたらしい。

学生時代は、成績優秀で同級生とつるむよりちょっと浮いた存在で
教務室に入り浸り、先生と話したり将棋をさしたり、仕事を手伝っていて
でも周りからは言われたことに反発する雰囲気から、
グレてると思われていたらしい。

いくつかの職を渡り歩き、
電気関係や無線通信関係の仕事をずっとしてきたおじいも
定年し今は農業系の会社で肉体労働している。
趣味はパソコン、懸賞、ブルーインパルス、そして仕事。
つまり、仕事してる以外はパソコンの前にいる。

ありふれた昭和のおじい。

我が父ながらなかなかの曲者で、天邪鬼で偏屈者。
昔は無口な二枚目と言われ、よくモテたらしいのになぜかあまり似なかった私。
生活能力はゼロに等しく、夜寝る前のインスタントラーメンくらいしか父の作ったものは食べたことがないし
母が入院した際には、周りから
「え?お父さん大丈夫?」と言われるくらいには、稼ぐこと以外は無能な父。

帰省の際、母の留守中に洗濯する私が
「○○さん、ハンガーどこにあるの?」
と聞くも、
「それが儂にはわからんのじゃ」

「いやいや○○さん、おかんが先に逝ったらどないする気なん?ハンガー探すところからスタートするの?」
と私白目。

ごはんは座ってれば運ばれてくると思ってる、
いただきますは言わない、寝っ転がって食べる、ご飯前におやつを食べる、
お風呂キャンセル界隈、歯みがきもキャンセルしがち、没頭すると帰ってこないし、
孫のおやつを食べちゃって泣かせる。
テレビのチャンネル争いは本気で孫と喧嘩する。

「ちゃんと見ててね」の5秒後には孫が転んで頭うつ。

人の親やってきたんちゃうの?!子ども見る言うことがどう言うことかもわからんの?!
と思わず言いたくなるおじい。

おまけに若い頃はギャンブルに浮気、やり方も分からないのに株を買いお金を溶かし、
一般常識もなく部下の新築祝いに10万包み、娘の新築祝いは3万。

突発的で気づけばノンストップで高速をひた走り、
着いた先は鳥取!なんてことも子どもの頃にはよくあって、
昔彼が仕事をしていた街を見に行くだけのツアーを何度やったか分からない。
車酔いの激しい私は毎度白目。

なかなかのダメンズであるおじいに、何度ため息をついてきたか分からない。

長男が幼い頃、健診で遊び食べの相談をした際に、保健師さんはこう言った。
「大人になって遊び食べする人はいないでしょう?大丈夫よ」

だけど私の脳裏に浮かぶ、
ご飯片手にパソコンしてるおじいの姿。

思わず漏れるため息……。


それでも私は父がなぜか好きだった。
父をちゃんとさせようと躍起になってる母よりも、自由でふわふわしてる父が好きだった。

「なぁでもふたさんよぉ、ほんでもおかしいとおもわんけ?
この車はな、オートマじゃ。昔はみなマニュアルじゃ。
オートマが出た頃にはな、障害者の車じゃ言うてみな蔑んどったのに、
今はその便利さが主流じゃ。なんでや思う?おかしいじゃろう。
便利やわかったら取ってしまうんじゃ。
ほんならなんで差別するんけ?みんな同じ人間やろがい。それじゃあかんのんけ?
お前はなんでや思う?なぁ、ふたさんよ。」

呑んでもないのに呑んでるような口調でヘラヘラ話す父。

会社は昇進させたいのに
「儂は昇進したいんやない。仕事がしたいんや」
と昇進面接で言っちゃうもんだから、幹部が頭を抱えてしまう始末。

「いい加減昇進してもらわないと困るんや」
と上司。
「仕事はすごくできる人なんですよ…」
と部下。

母からの宗教虐待に耐えかねて、
「何でおとんは見て見ぬふりなんや!」と訴えた際には
「なんで子どもらが嫌っとるんか儂にはわからんのじゃ。アレは優しすぎるだけなんや。」

と困惑していた父。

本当に頼りなくてダメダメで、育児家事は母に丸投げで
仕事以外は何も出来ない父。

娘としては恥ずかしい。
親を尊敬するという言葉には些か疑問符が浮かんでしまう。

「この遺伝子やもん、私まだ頑張ってる方やと思う…」

帰省の度に、
息子ら同様に父を叱り、
「いただきますくらい言いなさいな」
「ご飯くらい運びなさいな」
「おはようくらいいいなさいな」

息子には
「おじいは反面教師よ。真似したらあかんよ」
と言わねばならず、
「茶碗くらいおばあちゃんが下げるわね。やめてやめて、男の子にさせたらあかんて」
と言う母を制して、
「令和男子は昭和のように女子からして貰う生き物では無いので、男児とて自分でやります。
おばあちゃんは口開けてたら栄養が与えられる心地よい環境を提供しないでください。
私がいないとダメは、昭和の夫婦間で終わりにしてください」
と母に喝。

なのですが、赤ちゃんの頃から何故か長男がそんな父に懐いてるのです。
気づくと膝に座りに行き、気づくと隣に陣取り、
気づくと「ねぇじいちゃん見てー」とやってる。

大きくなると無言でそっと隣に座り、
祖父と孫で男同士2人で車で旅に出て。

2人を観察していて気づいたのは、
生活面が苦手な長男にとって、おじいのだるさが非常に心地よく、
あれしろこれしろと言われずに、
ずっと美術や歴史や世界遺産や人類や生物の話ができることが
居心地良くて仕方ないようなのでした。

ちょっと待って、おじいに美術だの歴史だの世界遺産だのそんな教養があったの?!!!
と驚くと、
「本あったやろ?」
とおじい。

確かに昔からメソポタミアやエジプト、生物多様性や人類史など
たくさんハードカバーの図鑑のような本が本棚にならべられていました。

「お父さんにそんな教養があったんか!?知らなんだ!まぁほいでも、頭は良かったもんな確かに」
と母。

「儂も美術は好きなんじゃ。徳島の製薬会社の美術館、あそこはええから行ってこい」
と長男を焚き付け、自分は早朝から仕事に行ってしまうおじい。
いやいや、連れていくのは私ですか…。
と思いながらも長男がキラキラし始めてしまったため、なれない高速を運転し明石海峡大橋を渡りました。

私には窮屈で良い思い出があまりない実家や両親ですが、
長男はなぜかゆるっと寛ぎ、心を開いているんです。
よくよく話を聞くと、
趣味も合うし話も合い、生活の許容度も合い、楽でいられるようでした。

「じいちゃんがダメだからぼくもこれでもいいや、ちゃんとできなくてもいいやって思えるよね」
「おじいはちゃんとしてなくても、70年以上生きてるもんね。いただきます言わないし、勝手に食べてるし、着替えないし、服もポイポイだけどまぁたしかに生きれたもんね。
長男はちゃんとしなさいって言われがちだけど、おじいと比べるとしっかりやってるってよくわかるもんね。」

昭和の時代はそれでも生き抜けたかもしれない…でも今の子は……。
そう言いかけてやめました。

人には余白と許容が必要で、長男にそれを与えてくれるのが
ダメダメすぎるおじいの存在なのでした。

「○○さん、子どもにはボロくそ言われとるのに孫にはえらい懐かれてるやん。
やっと存在に価値が出たんちゃいます?孫が価値を見いだしてくれたね」

「ほんまやのう。長男くんおーきに」
そう言いながら、膝に孫を抱き寄せニカニカとダメダメなおじいは笑うのでした。

できないことは、価値なのかもしれない。
私も父に許容されて生きてこれたのかもしれない。
そう、なんとなく思ったのでした。


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この世の全てのイレギュラーを生きるふたがユニークな9歳長男、2歳次男を育てながら気づいたこと、感じたことを綴っています。

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