インコグニートな日々

転職した会社には、小言の多いおばあちゃんのような上司と、兄弟のような同僚たちがいた。そして、ひたすら働く日々だった。

この上司の小言は、人格に食い込んでくる。
最初に注意されたのは、電話の出方だった。

「ニワタさん、電話の出方がよくないなあ」

既に社会人生活10年以上、初めて電話の出方で注意を受けた。

「ニワタさんはただでさえクールに見えるんだから、そういう電話の出方をしてると、本当にそういう人だと思われちゃうよ」

え、ビジネスの電話でしょ?クールで何がいけないの?

大体私はクールなどではない。ほとんど感情だけに支配されて動いている人間だ。それが嫌で、せめて仕事ではなんとか感情を制御したいと思って、努めて冷静にふるまうようにしていた。その努力を見透かされているようで不愉快だった。

同僚たちも、同じように小言を言われていた。
ほとんど欠点の無いようにみえるマネージャーのニノマエさんですら、電話で怒られて泣いていることがあった。

上司との打ち合わせで、耐え切れずに怒りを爆発させ、大泣きしていたチカちゃんを、駅の近くのカレー屋に連れ出して、みんなでなだめながらカレーを食べたのを思い出す。

上司の小言は、その人の長所や本音を引き出すための呼び水だったのだなと、今になればわかる。

大人になって、そんな小言を言ってもらえることは、幸せなことだったと今は思う。

とにかく、怒りや腹立たしさを焚き木のように心にくべながら、兄弟のような同僚たちと励まし合って、私たちは働き続けた。

日中はJ-WAVEをかけ、18時がきたらCDに切り替える。私たちのやる気ソング、インコグニートのNights Over Egyptが残業のおともだ。平均退社時間は21時。地元の駅についてまだ21時過ぎだと、「今日は早いな、何か作ろうかな」と思ってしまう。感覚が麻痺していた。

大変だった。
でも楽しかった。
小言のおかげで、職業人としてどこか甘さのあった自分が、少しずつ鍛えられていくのも感じていた。

気づいたら5年が経っていた。
同僚は、入社した時の4倍の人数になっていた。
そして、3月に入って大雪が降ったあの年、地震が起きた。




見出し画像はみんなのフォトギャラリーよりお借りしています。
calm_avocet329さま、ありがとうございます。


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