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【祝・重版出来!】未掲載エッセイを公開します――『いい匂いのする方へ』

赤い車


 なぜかずっと赤い車に乗っている。まだぼくに免許がない頃、当時の妻にナイショのプレゼントとして赤い車を買って帰った。そのあとも何台か乗り換えたが、どれも赤だ。ぼくが住んでいるのは白い家だから、赤い車が停まっていたらいいだろうという、それだけの理由で。白い家の前に、黒い車が停まっていても、白い車が停まっていても、それはそれでいいのだろうとは思うが、やはり赤がいちばん素敵だ。
 
 ときどき、いろんなことが煮詰まってくると、海へ行く。決まって、千葉の九十九里浜の方。平日は閑散としていて、オフシーズンだと人影もない。神奈川や伊豆のきらびやかな海ではなく、マットでくすんだ海だ。それがいい。浜辺に車を停めて、ただぼーっとする。このとき砂地にすぐ入っていけるためだけに、ジープに乗っている。だれもいない九十九里のサンドブルーの海には、赤い車が似合う。これがもうひとつの理由だ。ほかに理由を探してみたが、このふたつ以外には思い当たらず。
 
 いわゆる車好きではないので、車種は正直なんでもいい。だから結局、色がきれいな車を選ぶことになる。つまり、好きな赤を探すことになる。その結果、今の車に乗っている。これは車の性能やアイデンティティを無視した、外見だけ、それも色みだけで選ぶやり方で、車好きの人には怒られそうだ。ディーラーさんにも言えないな。
 
 そんなわけでずっと赤い車に乗っているが、少し前から真っ赤なのに飽き始めた。それで、少し褪色したようなオレンジ(朱色とでもいおうか)の同じ車に買い替えた。前の車は荒っぽく乗り過ぎて16万キロくらいで調子が悪くなってしまったから、今度は30万キロは目指したい。大切に乗ろうと思っている。
 
 現代の車はCDプレイヤーが付いていない。USBひとつでなんでもできるらしい。でもぼくはどうしてもCDが聴きたいから(本当はカセットがいい)、ポータブルCDプレイヤーを積んで、それで音楽を聴いている。遠出するときは、出発前にCDを何枚か選ぶ。目的地が関西だったら、片道3枚はじっくり集中してアルバムが聴ける。今の自分が欲しているアルバムを想像しながら、そして今の時刻、天気に合うものを考えてCDを選ぶのは楽しい。配信が全盛になり、片やアナログレコードがブームになり、CDの肩身が狭い昨今だが、ぼくはこの楽しみを手放したくないので、こっそり応援していますよ。なんでもその場で選べる配信とは違い、持って出たものと向き合わざるをえないリアリティがCDにはある。ムダなほうが楽しいんだ!と声高に言うと、これまた怒られるかもしれないから、あくまでこっそりと。
 
 ムダなことや思い込みや勝手な美意識を乗っけて、ぼくの赤い車は走る。今日も、どこまでも。

『いい匂いのする方へ』未掲載エッセイ

ミュージシャン、シングルファーザーとしての今。
曽我部恵一、16年ぶりのエッセイ集『いい匂いのする方へ』(光文社)

働き方に悩んだとき、子育てに迷ったときも。新たな視点で、歩き出す一歩を示してくれる1冊です🎈――「涙が出そうになりますもん、生きてると」