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断捨離と優しさを共存させられない
昨年の4月頃から、新型コロナウイルスの感染拡大によって家で過ごすことが増えた人も多いと思う。家で過ごす時間が増えて何をしたか。多くの人がそうであったように、断捨離をした。
1番手をつけやすい衣類から、書類、今まで手をつけていなかった食器類まで。どれくらい手放したか記憶にないが、いろいろ処分した。今まで買うことでしか利用したことがなかったフリマアプリで、売ることもしてみた。
食器はようやく手につけた。今まで一人暮らしにしては多すぎた。そのほとんどがコンビニやパン屋でシールを集めてもらえるものや、誰かからもらったもの。こだわって買ったものはほとんどない。4、5年前くらい前まではそこそこ頻繁に(1〜2ヵ月に1度程度)友人が家に来てご飯を食べる機会があって、そのときには重宝してきた。
紙皿買ったり割り箸買ったりするのはもったいないしなーとか何とか言い訳してきたけれど、要らないわ、こんなに。自炊をしっかりする人間ならまだしも、もう5年以上「自炊やりたくない期」が続いているし、食事に制限がかかってからはなおさらだし。
茶碗、小皿、豆皿、食パンを乗せるような皿、カレーやパスタを盛るような皿、大きくて重すぎるどんぶり……。そうだよ、一人暮らしで同じサイズの皿5枚も絶対に要らないよ。
中でも手放すことに苦心したのはマグカップだった。
マグカップって、そのほとんどが人からもらったものだ。高校の部活の後輩にもらったもの、誕生日にもらったもの、などなど。それぞれに誰かの顔ともらった状況がくっついている。今まで考えないようにしていたけれど、マグカップって重ねて収納しにくいし、用途が限定されているし、何個も持ってても仕方ないことがよく分かった。
そうして、気に入ったものだけ、使いやすいものだけに厳選された食器棚になった。
そうして少しばかりすっきりした食器棚て過ごして1年程経った頃、友人の結婚式があった。
その結婚式自体、コロナの影響で1年延期を余儀なくされ、通常時に開催するより余計に、新郎新婦は心を砕いて準備したに違いない。
想いの詰まった式から帰宅して、これまた想いの詰まった引き出物の数々を開封していく。
一番大きな箱から、皿とマグカップのセットが出てきた。
しかもペア!
とてもおしゃれ。とてもおしゃれだ。
だけど、「あー……」と声が出て、緩衝材をそっくり元に戻して蓋を閉めた。このまま箱のままきれいなまま、フリマアプリで売ろう、と思った。
誰しも、親しい人からもらったとしても、気に入らないもの、使いにくいものってあるに違いない。
どんなに想いがこもっていようとも、だ。
かく言う自分も、人に物をあげるときにはこだわってこだわって選びたくなるタチだから、相手に本当に喜んでもらえる“消えない物”を選びがちになってしまう。昔に1度、友達の大好きな柄のマグカップを見つけたからどうしてもプレゼントにしたい!と思いながらも、置き場に困らないだろうかとか、いっぱい持ってて要らないよってならないだろうかとか、すごく考えてしまって、渡すときに言い訳がましくごにょごにょ言いながら渡した。(なんてめんどくさい奴だ)
引き出物を消え物ばっかりにするのは嫌だと思う気持ちもわかる。でももらう側からしたら、カタログギフトか、おめでたい洋菓子か、高級お茶漬けセットなんかが困らなくて嬉しい。
どんな物も、あの人からもらったから大切にしよう、使ってみようってならない自分は優しくないなあとも思う。今回のマグカップに限らず、他にもたくさん捨てたり売ったりしてきたし。
でも、要らない物で限られた空間を埋めたくないって気持ちが最優先されてしまうんだ。自分で自由にできる空間なんだから。