4月が来た。
4月が来た。
エイプリルフールは、少し離れた画面の向こうの世界で少し沸き立ってあっという間に終わった。
学生の頃やSNSの投稿に躍起になっていた頃、4月1日のうちに何とかおもしろみのある嘘をつこうと必死だった。
でももう、そんな気分にもならない。ちょうど良い嘘って案外難しい。
4月が来たということは、この地に引っ越してきてからの年月をまた一つ重ねたということだ。生まれた地で過ごした時間と、この地で過ごした時間が同じ長さに近づいていく。
先日、数年振りに花見らしい花見をした。公園にお弁当と敷物を持って行き、桜の下で過ごす。花びらが散って手元に落ちてくる。木陰が心地良い気候で最高の日和だった。
お昼の12時を過ぎると、近くのオフィスで働いている人たちが、散歩やジョギングなど軽い運動をしにやってきた。職場の同僚同士だろうか、会話をしながら通り過ぎていく。遊具を使って筋トレをしている数人組もいる。
自分はあんな風に、休み時間までも誰かと過ごすなんて考えられなかった。できればひとりで過ごす時間が欲しかった。それはなかなか叶わなくて、だんだんバランスが取れなくなってきたのかもしれない。
そんなことを思い出しながら、日焼けが心配になるほど太陽の光をたっぷり浴びた。
体調を崩して休み始めて間もない頃、昼間に外を出歩くのが怖かった。
世間は働いている人で溢れている。あの人もこの人も、みんな働いている。某缶コーヒーのCMじゃないけれど、本当に、この世は誰かの仕事によって成り立っている。あれもこれも、すべて誰かの仕事。そのことを突きつけられる。目に入る人、みんな働いている。働いている。働いている。その中で働きもせず休んでいる自分が出歩いていることが申し訳なくて、考えたくなくて、恥ずかしくて、とにかく昼間が怖かった。働いている人の数が減る夜中にだけ、闇の中で息ができる気分だった。昼を避けても生活ができるのは、それもまた誰かが働いているからなのだけれど。
今は昼間も外を歩けるようになった。でも、後ろめたさはなくならない。
早く自分も社会の一員にならなければ、という気持ちになる。権利の中で休んでいるとは言え、いつまでもこのままではいられないんじゃないかと思う。
いつまでも休んではいられない。
休んではいられない。