埼玉県道47号 深谷東松山線 小渕 2023年2月9日 00:03 起点〜押切橋手前(仮称) 2021/06/20押切橋手前(仮称)~終点 2021/06/26Twitter深谷市旧・榛沢郡深谷町国道17号の深谷市役所前交差点からスタート。その後仲町交差点を左折、旧中山道に入る。右折すると深谷寄居線(r62)、直進すると深谷停車場線(r141)。仲町交差点には深谷市道路元標がある。深谷市になったのは1955年のためそんなに古いものではなさそう。旧中山道の沿道はやはり歴史を感じさせる街並みが残る。本住町交差点で深谷嵐山線(r69)と交差。行人橋で唐沢川を渡る。雨もあり流れが速くなっていたがそこそこ澄んだ川である。その後も旧中山道沿いに道は続く。掠れて読めなくなった看板が往時を思わせる。旧・幡羅郡幡羅村旧深谷宿の常夜燈。この辺りを境に旧・幡羅郡幡羅村。「幡羅」の読み方は「はら」だったり「はたら」だったりする。初め「はら」だったのが「はたら」に変化していったらしい。というのもあり明治の町村制施行で誕生した幡羅村は「はたらむら」。交差点で右折し旧中山道を離脱。旧中山道は100mほどの市道区間の後国道17号にぶつかり、そこから先は弁財深谷線(r263)が受け継ぐ。旧中山道を抜けたことにより景色は一変。商店は減り、一般の民家や工業関係の会社も多く見られるようになる。庁鼻和城跡物見櫓跡の看板。突き当たりを左に曲がると完全な工場地帯に突入。大企業の工場も目立つ。LIXILの深谷工場。ひときわ大きい。幡羅町一丁目交差点を右折。突き当たりにある東芝深谷事業所はこの踏破の三か月後の2021年9月に閉鎖された。東通り跨線橋でJR高崎線を渡る。橋の上からは1965年の操業開始以来テレビなどの生産で東芝の繁栄を支えた深谷事業所を見下ろすことができる。2023年現在はだだっ広い空き地になっていた。籠原〜深谷間のちょうど真ん中辺りにあたる部分。上柴町東三丁目交差点を左折。線路の南側はロードサイド店舗の目立つ商業地となっている。熊谷市旧・三尻村熊谷市に入る。旧・三尻村。道の規模、交通量の割にはこじんまりとした市境。ショッピングモール?のフェスティバルガーデン籠原。お店がいっぱい。工場地帯になっている国道17号に代わってこの辺りが同地域の商業を担っているようだ。籠原第2公園の滑り台は使用禁止になっていた。こういうのは過剰に思えるのも多いがこれは実際壊れそうだった。美土里町交差点。左から美土里町新堀線(r357)がぶつかる。右には航空自衛隊熊谷基地がある。そこからしばらく歩いた先の交差点右から熊谷児玉線(r75)が出ている。r75を進んだ先には太平洋セメントの熊谷工場がある。存在感抜群のセメント工場。この辺りになると商業地としての姿はなくなる。秩父鉄道の貨物線三ヶ尻線の線路が上を通っている。熊谷貨物ターミナル〜三ヶ尻駅間にあたるが、2020年この区間は廃止されたらしい。三尻公民館。三ヶ尻は周辺の村と合併した町村制施行の際に三尻村となったが、住所としては三ヶ尻が使われ続けている。優生保護法があった時代の看板を未だに掲げている癖の強い産婦人科を見つけた。Googleによると閉まっているらしいが……。高崎線との距離もだいぶ離れたことにより、周辺は田畑が目立つようになる。合併記念碑。道路元標。奈良堰幹線用水路を渡る橋は三ヶ尻1号橋という名前らしい。県営圃場整備事業竣功記念碑。上越新幹線の熊谷〜本庄早稲田間。この辺りは比較的高崎線と距離がある。武体西交差点で国道140号バイパスと交差。旧・大里郡大麻生村ここから押切橋で荒川を渡る。1日目はここまで。ここから2021/06/26。橋の上から玉井用水を見下ろす。続いて国道140号。秩父鉄道の大麻生〜明戸駅間。橋の下には大麻生ゴルフ場がある。旧・御正村荒川。左右には深い森が広がっている。橋を渡ると旧・大里郡御正村→江南町。押切橋交差点では熊谷寄居線(r81)と交差する。公園という割にはこじんまりとした押切橋南公園。多分和田吉野川。違うかもしれない。この県道、橋名板のない橋が多い印象。旧・男衾郡小原村森の中、埼玉県・関東を中心に展開するスーパーマーケット、ヤオコーの物流センターがある。この辺りで旧・男衾郡→大里郡小原村に入る。しばらく歩くと道が開けるが、民家は疎らでのどかな道が続く。修正が剥がれて江南の文字が見えそうになっている看板があった。板井東交差点。西に進むと小江川本田線(r130)。青看はないが近くにヘキサがある。小原十字路で熊谷小川秩父線(r11)と交差。2年と半年ぶりの訪問。季節の違いもあってか既視感は特に無かった。そこからは暫く他県道との交差もない。和田川を渡る橋は里見橋というらしいが、川名専用の看板がある割に橋名板はない。田舎道。丘の上にある高い建物は軽費老人ホームだとか。江南町時代からあったであろう「緑と踊るはにわの里」の看板。他の場所の同タイプのものの昔の写真によると、変な紙が貼られている辺りに「江南町観光協会 江南町」の文字が書かれていたらしい。比企郡滑川町旧・比企郡福田村比企郡滑川町へ。北部であるこの辺りは旧・福田村。道路管理境界もあり大里から比企への変化が実感できる。緑が広がる。南西にある二ノ宮山には展望塔が建っている。休憩所がある。ヤスデの巣窟になっているので休憩はおすすめしない。この県道と滑川の間にワタミらの工場が建っている。庚申塔が沢山。江戸時代のもの。滑川町役場(北)交差点を左折。直進した先が指定解除された旧道、右折するとときがわ熊谷線(r173)で、一瞬だけ重複。遠くに滑川町役場が見える。滑川中学校(北)交差点を右折しr173と分岐、単独区間へ。森林公園の案内。キャラクター(しんくん)と独特の字体がかなり懐かしい。国営武蔵丘陵森林公園南口。昔よくここのアスレチックで遊んだ。昔は多分西口から入ってたかな?ここから森林公園停車場武蔵丘陵森林公園線(r250、気持ち悪くなる名前)と滑川を渡る陸橋に入るが歩道が南側にしなないので北側からだと一度下から陸橋と交差して南側へ行くことになる。r250とは暫く重複。旧・宮前村滑川を渡ると旧・宮前村。ちゃんと草刈りをしてほしい。なお、この辺りは元有料道路、熊谷東松山有料道路(森林公園南口付近から熊谷市万吉まで)へ続く道だった。歩道の場所が変わる。一度歩道橋を渡る必要があり割と大変である。市野川を渡る橋は新市野川橋というらしいが橋名板が無く一目では分からない。そこそこ大きな川なのに……。羽尾(南)交差点を左折。直進方向はバイパス、右折した先は旧道。東松山市旧・松山町道がだいぶ小規模になったところで東松山市(旧・松山町)に入る。東松山側の看板が見当たらないなど、かなり地味な市町境。交差点を右折。私はここで盛大にルートを間違えたが致命傷になる前に復帰できた。歴史のありそうな、細いが賑やかな道路。松山高校前交差点。埼玉県立松山高校。男子校である。比企郡都松山だけあって同地域ではトップクラスで優秀。東松山市役所(北)交差点では大谷材木町線(r391)と合流。東松山の中心地へ。歴史と程よい発展がマッチした、個人的には埼玉で一番好きな街並み。東松山市役所。丸広。歴史のありそうな建物が目立つこの周辺ではひときわ高い。松葉町一丁目交差点。東松山越生線(r41)とぶつかる。事実上の終点だが重複しながらもう少し続くらしいのでまだ歩く。本町二丁目交差点。行田東松山線(r66)とぶつかり終点。r66のここ周辺の区間は元・国道254号。GPSログ色々な表情を見せる、長いが歩いていて楽しい県道だった。 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #埼玉県 #熊谷市 #深谷市 #埼玉県道 #東松山市 #滑川町