春日神霊の旅─杉本博司 常陸から大和へ /金沢文庫
杉本博司プロデュースの、春日信仰の展覧会。
――そんな触れ込みだったので、杉本さん自身の写真作品やコレクションからなる、個人色強めの展示なのだろうなという想定のもと臨んだ。
蓋を開けてみると、展示作は関連社寺の所蔵品が多く、春日信仰の概要が順序立てて叙述された学術寄りの内容となっていた。杉本テイストは希釈され、金沢文庫色に完全吸収。思いのほか硬派な展示だった。
このことは、リーフレットのかぎられた情報からはつかみづらかったし、ウェブに出回っているプレスリリース丸写しのニュースからはさらに想像しがたかった(作品リストも『芸術新潮』の特集号も、わたしは事前に見ていなかった)。
現代美術のファンで、アーティストとしての杉本さんに魅かれて来場したという方は、少々面喰ったことだろう。ようこそ、古美術の世界へ。
春日信仰の中心地は、いわずもがな奈良の春日大社であるが、その発祥はというと東国にある。
茨城県の鹿島神宮から武甕槌命(たけみかづちのみこと)、千葉県の香取神宮から経津主命(ふつぬしのみこと)が、神鹿の背にまたがってはるばる大和の地へと舞い降りたことが、いまに続く春日大社の起源となっているのだ。
その二神がとった旅の針路の途上に、杉本さんのつくった小田原文化財団がある。
杉本さんのまわりには以前より、春日信仰にゆかりのある優品が、引き寄せられるように集まってきていたのだという。近年になって、杉本さんご本人が春日社との縁(えにし)を意識するようになったことが、本展開催のきっかけとなった。
会場には、春日大社やその関連社寺の所蔵品に加えて、伝来や由緒をもつもの、また「撤下品(てっかひん)」と呼ばれる神前からのお下がりの品などが多数展示。
内容と構成の詳細は美術手帖のレビュー(※本稿末尾)を見ていただくとして、個人的に最も印象深かったのは、神鹿の影向(ようごう)する姿を写した「鹿曼荼羅」の選りすぐられた名品たちであった。
なかでも陽明文庫所蔵の《鹿曼荼羅》(鎌倉時代、重要文化財)は、ふさふさとした細密な毛並みに体格のよさが目立つ、堂々たるもの。他の鹿曼荼羅の鹿はどこかずんぐりしていたり、頼りない痩せっぽちだったりもするなかで、さすがは五摂家筆頭・近衞家の鹿である。王者の風格すら感じさせる。
春日社の境内を描いた《春日宮曼荼羅》もやはり、多くの作例からすぐれたものが選びぬかれている。
現地を思い浮かべながら宮曼荼羅を観るのは、ことのほか楽しいもの。社殿の威容のみならず、春日山原始林の景物描写も楽しみのひとつとなっている。
宮曼荼羅の常として、緑樹のなかにところどころ、桜の花が咲いているのがみえる。展示を観に行ったのは、開花がはじまったころ。絵のなかでも花見ができたようで、心が弾んだ。
杉本さんは最近、財団の敷地内に春日社を勧請したという。
本展では展覧会名に「杉本博司」を冠しながら、現代美術家としての杉本さんの姿はすっかり鳴りを潜め、春日信仰の遺物が主役に躍り出ていた。そこに、杉本さんの「敬虔」という名の情念、熱情が、かえって感じられたのであった。