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没後70年 南薫造 /東京ステーションギャラリー
南薫造(1883~1950)は「ニッポンの印象派」とのこと……
あまり意識したことはなかったけれど、なるほどそうともいえそうだ。しかし、大きく出たなーー偽らざる感想としては、こんなところだろうか。
たしかに「南薫造」の名を前面に押し出したところで、集客面ではちょっと厳しい。
そこでこのコピー、このリーフレットのデザインである。
なんという商才! よほど優秀なディレクターがついているとみた。
もちろんこじつけなどではなく、リーフレットに載ったいくつかの作を観れば「ニッポンの印象派」の看板に偽りなしとわかる。
「えっ、これ日本人が描いたの?」
「知らない画家だけれど、よさそうだね。観に行ってみようか」
そんな声が聞こえてきそうだ。
会場にも、そのようなきっかけで来館したとおぼしい人々が見受けられたのだった。
最初の展示室でまず驚かされたのは、画学生の時分で、すでに「らしさ」を感じさせていたこと。もちろん技術的には落ちるのだけれど、かねてよりいだいていた作家像とのブレはなかった。
次の広い展示室には、ロンドンの街のさりげないひとコマを淡々と描きとめた絵がいっぱいに並んでいた。美術学校を出た薫造は、渡英して水彩画を学ぶ。当時の日本は水彩画ブームで、イギリスはその本場であった。奇をてらわない、自室にかけておきくなるような静かな絵だった。
続く小部屋には、パステルカラーの油彩画が数点。ポスターやリーフレットになった《少女》《春(フランス女性)》もここ。いずれも薄塗りの、水彩画に近いやさしい色調をした油彩で、ながめているだけで多幸感がにじんでくる。澄んだ心地よさを感じる絵であった。こういった作を見ると、「ニッポンの印象派」といいたくなるのがよくわかる。
下の階は、帰国後に手がけた創作版画から。みずから刻み、摺った版画ゆえ稚拙の味わいがあり、肩の力を抜いて見られる。
やがて、薫造は中央画壇で活躍しはじめる。この脂の乗った時期の作品には代表作《六月の日》もあったが、星空をバックに一本の大樹を描いた《すまり星》(東京藝術大学)が出色。
「すまり星」とは昴星、プレアデス星団のこと。静謐なロマンをたたえるこの絵の主役は、木ではなくして星だったのだ。
薫造の画風は晩年に近づくにつれ、こってりとした大味なものへと変化していく。だから、「ニッポンの印象派」といえそうなのは画業の途中までではあったのだけれど、ひとりの作家のゆるやかな変遷を順に観ていくことができたのは楽しかった。
なぜいま、南薫造の回顧展なのか。その答えは、公式サイトで堂々と述べられていた。
優れた美術が、たとえいま流行りではなかったとしても、人の心を揺り動かすものであることを信じるからです
東京駅構内という恵まれた立地で、一般には名の通らない画家の回顧展をあえて開催する果敢さは、並大抵のものではない。誇り高い使命感に、心からの拍手を送りたいと思った。