〈新春スペシャル〉2024年の鑑賞「落ち穂拾い」:6
(承前)
■春日漆の国宝と雲龍庵の漆芸 ー世界が認めた超絶技巧ー /春日大社国宝殿(10月14日)
輪島に工房を構える漆芸作家、「雲龍庵」こと北村辰夫さん。彼とその一門による作品の大コレクターと、春日大社とのご縁によって実現された展覧会である。
会場には現代の作品だけでなく、箏や太刀、手箱といった平安・鎌倉時代の華麗な蒔絵装飾品を、ほぼ同じくらいのスペースを使って展示。
同じ漆工の作品。その表現は遠いようにも、はたまた近いようにも感じられる。この距離感のゆらぎを測るのがおもしろかった。どちらにおいても、単眼鏡が大活躍。
北村さんはじめ雲龍庵の作品は、古代や中世というよりかは、近世の作品に直接の影響を受けている。じっさい、同じコレクターの所蔵品として一緒に展示された柴田是真ら江戸蒔絵の、粋でこじゃれた、かつ超絶的な技巧の凝らされた作品たちは、平安よりも新作のほうにはるかに近かった。
正直にいうと、「うるし」という素材や技法で、単にくくってしまってよいものか……とさえ、考えさせられた。それほどの乖離はあったけれど、同時に、うるしのもつ可能性の幅広さにも思いが馳せられるのであった。
■當麻寺練供養 ー会式を彩るもの― /葛城市歴史博物館(11月11日)
4月14日、ふたこぶ状の二上山(にじょうさん)に夕日が沈む頃——奈良県葛城市の當麻寺(たいまでら)では「練供養(ねりくよう)」が厳修される。
篤心の娘・中将姫が極楽往生するさまを再現する儀式で、當麻寺の本堂を極楽浄土、緩斜面の下にある娑婆堂を現世に見立て、その間に白木の長い「来迎橋」を架け渡して、阿弥陀如来と二十五菩薩の来迎を表現する。
「練供養」の呼称は、先頭を往く2菩薩が練り歩く際の独特な仕草に由来する。
この儀式の概要・歴史を紹介するとともに、儀式のなかで用いられる面や装束、楽器といった道具を本展では陳列。
とりわけ興味深く感じられたのは、時代を超えて道具が受け継がれていくさま。
平成6年まで中世の仮面が使われていたという事実にも驚かされたが、近年、楽器の新調に際して《當麻寺縁起絵巻》を参考に復元している点などからも、次代へ忠実に引き継いでいこうという気概は共通して貫かれていたのであった。
そのいっぽうで、衣裳のなかには江戸で調製され薩摩藩主から寄進されたもの、名古屋で仕立てられたと判明するものがあり、思いのほか地域的に広いつながりがみられること、また各家の婚礼衣裳の再利用や慶長古袖の裂など新旧の多様なリメイク布が含まれることなどからは、かならずしも限定的・画一的なかたちでなくとも、リレーが継承されてきたことを感じさせた。
2025年の4月14日には、休みをとってかならず當麻へ行こう……そう決心させるに充分な、小規模ながらも充実した展示内容であった。
■眷属〈けんぞく〉 /龍谷ミュージアム(11月16日)
「眷属(けんぞく)」——ふりがなをつけなければならない言葉をメインタイトルに持ってくるには、かなりの勇気が要ったことだろう。
だがおそらく、本展のタイトルはこの言葉をおいて他になかった。眷属という語を含めて、眷属たちの「市民権を高める」ことが本展の願いであると、序文に掲げられていたのだ。
みほとけに付き従う存在、それが眷属である。紀元前1世紀の中国・前漢時代には「一族郎党」といった意味合いで使われていた言葉が、西方より請来された仏典を翻訳する際に訳語として当てられ、現在の用例となった。
薬師如来には十二神将、釈迦如来には十六善神、普賢菩薩には十羅刹女、千手観音には二十八部衆が従う。もとはヒンドゥー教の神々であったものの、仏教では眷属として取り込まれていった例も多い。
子どもの姿をした眷属に着目する視点も、おもしろかった。いわれてみるとたしかに、多い。不動明王に従う制吒迦(せいたか)童子と矜羯羅(こんがら)童子は、その代表。キャラクター化されて、本展のナビゲーター役を務めていた。
不動明王には八大童子が従うこともあるが、さらに《不動明王三十六童子像》(南北朝時代 龍谷ミュージアム)、《不動明王二童子四十八使者像》(南北朝時代 七宝瀧寺=下図)といった作例も。すさまじい人口密度である。そして、子どもを描き分けるだけあってかわいらしく、見どころが多い。
続く章では、眷属という概念の広がりを通覧。
異国人の風体をした馭者(ぎょしゃ)のような「眷属の眷属」と呼べる存在が出てきたり、神社においても、神の使いが「けんぞくさん」と呼ばれたり。
前者の例である下図の康円作の像(鎌倉時代 ・文永4年〈1267〉 東京国立博物館 重文=下図)は、四天王の増長天に付き従う眷属。具体名は判明しない。フィギュアほどの小さなサイズだが、迫真の面持ち。
仏画でも仏像でも、通常は中央のお像にまずは意識がいくものだが、この日ばかりは周囲の眷属にマークが集中。第1会場の中央に展示されていた仏像に至っては、中尊のみタペストリー、それを取り囲む眷属の像のみが展示されており、企画者の強固な信念を感じさせた。なかなか斬新な鑑賞体験であった。