「埼玉の日光」妻沼聖天山 :1
「平戸の大仏」までは、熊谷駅から東へ徒歩25分ほど。10時の公開に合わせてお参りしたので、午後の時間がまるまる空いた。
熊谷駅まで引き返し、次に目指したのは「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん)」という寺院。
今度は熊谷駅の北側、バスで25分ほどかかる。利根川は目前、向こう岸はもう群馬県という場所だ。
妻沼聖天山は、国宝の社殿を擁している。
熊谷にも国宝がある……などといってしまうと、熊谷の人にむっとされそうだけども、ちょっと意外なのはたしかだろう。
妻沼聖天山を興したのは、源平合戦の武将・斎藤実盛。武勲・忠義の士で、かつて命を助けた木曾義仲に討たれるくだりは『平家物語』屈指の「泣かせどころ」となっている。
戦前の唱歌にも歌われたそうで、境内には銅像と唱歌の歌碑、コーラス入りのメロディーが流れるスイッチが設置されていた。
戦後になって教科書の記述ががらりと変えられ、急速に忘れ去られた人物のひとりだろう。
実盛の領内であったこの近辺には屋敷跡などと伝わる史跡が散在していて、看板での呼び名は「実盛公」。この界隈では現役の領主様である。
実盛が父祖伝来の錫杖の頭をこの地に祀ったのが、妻沼聖天山の端緒となった。
国宝の本殿は、ご本尊であるこの錫杖頭を納めるため、江戸時代中期に建立された。
現存する錫杖頭(重要文化財)には、聖天=歓喜天、インド神話でいうガネーシャの像があしらわれている。
聖天は性愛を司り、商売繁盛のご利益もある天部で、人間の体に象の頭をもった2体が抱擁する姿でしばしば表される。
難読地名の妻沼(めぬま)は、「女沼」という沼に由来している。もとは近隣の「男沼」と対であった(現在はどちらも埋め立てられてしまった)。
「女沼」の地に聖天が祀られたことには、やすやすと看過できない深い意味がありそうだ。近世には、吉原の遊女たちが現世利益を求め、利根川を舟で伝って盛んに参拝に来たともいう。(つづく)