食わず嫌いの刀剣 :2
(承前)
刀剣博物館の展示室には、古代から平成にいたる日本刀が、30振あまり並んでいた。
草創期の太刀は湾曲の度が強く、まことに精悍。中世でも、古いものほど緊張感を帯びているように感じられた。対して、近世の新刀には華があり、おおらか。武器であると同時に、装飾品の趣をかもしていた。
造形上の厳しさが、時代が上がるものにより強く認められるというのは、工芸の諸分野でまま見受けられる現象ではある。
かといって、少なくとも刀剣の場合、「古ければ古いほどいい」「新しいものはいけない」と割りきれるわけでもないようだった。
時代の風(ふう)を大枠としながら、その範囲内で、多様性が細やかに展開されている。刀剣博物館所蔵・寄託の優品を古い作例から順にみていくことで、そういった状況が初めて、手にとるように理解できたのだった。
鑑賞する側の人間は、こういった多様さのなかから、いかようにも選り好みができる。その選択じたいに、個々の明確な差異がよく現れるだろう。
たとえば絵や書などは、具体的な情報をもっているがゆえに、その人がもつ特定の記憶や感情に結びつきやすく、純粋な感覚による選択が成り立ちづらい。やきものの場合も、絵や文様の施されたものより、なんの装飾もないもののほうが、その人のほんとうの好みを如実に示すのだ。
刀身は、極限まで削ぎ落された、きわめてシンプルで抽象的なモノである。感覚的なレベルで、どれを選びとるのか。その選択は人によって千差万別であろうし、刀剣には、それを受け入れるだけの懐の深さがあるのだろう。
長く刀剣の分野を敬遠してきた門外漢としては……たいへん恥ずかしながら、正直のところ、刀剣の類はどれも同じようなものとして映っていた。
もちろん、日本刀のおおよその歴史や、刀身の部位の名称などの基本的な知識は、頭に入ってはいたのだけれど……決定的に足りていなかったのだ。「実戦」が。(つづく)