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唐招提寺の「お身ぬぐい」
忘年会が連日続き、昨日までは「春日若宮おん祭」があるなどして、更新が滞りがちになってしまった。
展覧会のレビューをまだ何本も積み残しているけれど、奈良・京都の季節を感じる話題を優先して綴っていくとしたい。
師走に入ると、お寺の「すす払い」や「お身ぬぐい」のニュースが全国各地から届く。その呼び方はお寺によりまちまちだが、絵面はおおむね似通ったもの。
すなわち、古式の紙マスクで口を覆ったお坊さんたちが、大きな仏像のホコリを払ったり、表面を拭いたりしてあげている——そのようなさまは、有り体にいえば「映(ば)える」うえに、年の瀬らしさにあふれている。テレビ局としては、安牌な被写体であろう。
12月15日(日)の朝9時からおこなわれた唐招提寺の「お身ぬぐい」にも、NHKなど数社の取材クルーが来ていた。
お身ぬぐい中といえど、金堂内陣の諸仏にカメラを向けることは、われわれには許されていない。それに、動画のほうが伝わりやすくもあろう。まずは当日のようすを、下記リンクからご覧いただければ。
※余談:筆者の姿が一瞬映りこんでいる
映像を注意深くご覧になった方は、お気づきかもしれない……竹竿の先の白いポンポンは、仏像には直接触れていないのだ。テロップでも「ほこりを払う所作を行って」となっている。つまりは「ふり」「体(てい)」である。
読経後に拝聴した解説によると「これからおこなわれるのは『象徴的な』お身ぬぐいであって、お像のクリーニングは文化財の専門家におまかせしている」「本日、実際に掃除をするのは、堂内の床や窓、仏具など」とのこと。
後から来たみなさんの会話に聞き耳を立てていると「微風を起こして塵やホコリを落としているのでは」「儀式的な動きなのでは」といった見解がみられたが、あくまで「撮影のため」というのが、本当のところなのだ。
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これまで「すす払い」「お身ぬぐい」のニュースを拝見していて、仏像の表面が剥がれないか、指先などの細部の凹凸にポンポンが引っかかってしまわないかなどが、気掛かりで仕方なかった。
このあたりの扱いや事情はそれこそ、お寺やお像によりまちまちではある。像の材質や古さ、コンディションがからんでくるから一概にはいえないけれど、唐招提寺の場合は螺髪や光背の化仏、蓮弁の先など繊細なところが多く、表面はもろい乾漆。当然、そこにぬかりはないのである。
※「まちまち」な例=滋賀・観音正寺
——「お身ぬぐい」の拝見後には、唐招提寺の境内を一周。何度か来ているのに、なぜかまだ寄ったことのなかった、鑑真和上の御廟に参拝。
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——「すす払い」「お身ぬぐい」のニュースをテレビで観るたびに「うちでも大掃除しなきゃなぁ」という気分になったものだ。「ふり」とはいえ、この日もやはり。
わが家には、ぬぐうほどの「お身」はないけれど、払うべき「すす」ならそれなりに……さて、今年はどうしようか。境内をめぐりながら、思案するのであった。