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逗子の山寺・神武寺の御開帳 :2
(承前)
神武寺の諸堂は、岩場の起伏を利用してあちこちに散らばっている。山岳寺院というより、城塞のよう。
それもそのはず、神武寺の境内は中世の山城跡でもあるのだ。鎌倉の北条氏によって、南東の守りを固め、三浦氏への睨みをきかせる砦がここに築かれた。
戦国期、神武寺は後北条氏からの庇護を受けた。有事の軍事利用を踏まえてのことだろう。秀吉の小田原攻めで後北条氏が滅ぼされると、神武寺も焼かれてしまった。
現存の堂宇は、ほぼ近世以降のものだ。
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薬師堂での法要は、すでに始まっていた。三方が開け放たれ、熱心な参拝者が集うなか、読経の声があたりに響きわたる。
法要後、自由参拝となった。
秘仏・薬師三尊は写真撮影不可で、逗子市のサイトをはじめウェブ上でも、各種の出版物でも、掲載される写真は以下と同じものだった。
毎年12月13日午前中に神奈川県逗子市にある神武寺でお煤払いがあります。薬師三尊様を拝観できます。下は2年前の神武寺のフェイスブックですが今年は中に入れるのかしら?駅は京浜急行の神武寺駅よりも横須賀線の東逗子駅の方が近くて楽です。神武寺駅からは登山です。https://t.co/Y5nNiSQKZ9 pic.twitter.com/sSvSP4gce5
— もぐじ (@chibiosa1) December 7, 2023
実物は、画像から受けていた感じよりも古格があって、彫りの深い凛々しい顔つきだった。掌の肉付きがとてもよく、触るとふにふにと柔らかそうだったのが印象的。
室町期の作例で、螺髪や衣紋線などに簡略化がみられるのは確かだが、お顔のおおらかで確信に満ちた表情は独特で、引き込まれるものがある。安心して、すがりたくなるお像だ。
三尊の両脇に、享保期の十二神将が付き従う。堂内は10人も入ればいっぱいになるほどで、お像も含めた人口密度(?)がすごいことになっていた。
感染拡大中は、お堂の外から拝む形をとっていたとのこと。今年は間近でじっくりと拝見できて、よかった。
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帰途、境内の「みろくやぐら」へ。
内部には弥勒菩薩の石仏が立っており、銘文から、正応3年(1290)に没した鶴岡八幡宮の舞楽師・中原光氏の墓と判明している。
鎌倉周辺にはこういった洞穴の墳墓「やぐら」が無数に残っているけれど、故人の俗名が明らかになっているのは唯一、ここだけとのこと。
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たいへん貴重な例であるとともに、葬られた人物が舞楽師だったという点には、どこか惹かれるところがある。
光氏は、「裸弁天」として知られる鶴岡八幡宮《弁財天坐像》(重文)の奉納者でもある。光氏とは、どのような人物だったのだろうか。ますます興味がそそられる。
——神武寺には、他にも多くの寺宝が伝わっており、県や市の文化財指定を受けているものもいくつかある。
絵画などの主要な資料に関しては、横浜の神奈川県立歴史博物館に寄託されているようで、現地を含めて公開される機会は少ない。
そんななかから、一昨年に横浜で展示された逸品をご紹介して、むすびとかえたい。
江戸中期・元文4年(1739)に制作された《十王図》である。
本日7月17日(土)より、神奈川県立歴史博物館にて開催される特別展(https://t.co/zZ0zqRZ76K)に、神武寺所蔵の「十王図」(通常非公開)が出展されます。
— 天台宗 神武寺 (@IouzanJinmuji) July 16, 2021
事前予約制となりますが、コロナ禍と熱中症へ充分ご注意の上、ご見学いただきたく、ご案内申し上げます。#十王図 #閻魔 #神武寺 pic.twitter.com/Po86NRdAh4
8月29日まで開催の特別展「十王図」で展示中の逗子市神武寺の十王図じゃ。
— 神奈川県立歴史博物館 (@kanagawa_museum) August 26, 2021
人は死後、十人の王に裁かれるが、その際遺族からどれだけ供養してもらったかも重要なのじゃ。
箱に「二親」の菩提のために奉納したとあるのじゃが、両親があの世でも安らかなようにと願ってこの絵を描いたのかもしれんのう。 pic.twitter.com/sFTjtqbZc6
なんともすばらしき素朴絵!
いつか、どこぞの展示で拝見が叶うだろうか。アンテナを張っておくとしたい。