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月の法善寺横丁 :2

承前

 法善寺は通称「水掛(みずかけ)不動」。不動三尊の石仏に、柄杓で水を掛けて願いごとをする習わしがある。
 戦後まもなくにこの風習がはじまって以来、人々の願いを水という形で一身に受けとめてきたお不動さんは、やがて全身が苔で覆われるまでになった。細部が埋もれてシルエットのみになったお姿は、お不動さんの形に刈り込んだガーデニングの庭木のようでもある。

水掛け不動

 苔を見れば蒸らしたくなるのが、日本人の性(さが)というものか。
 こうして水を掛けられるお不動さんは、滝に打たれる行者の姿にも重なる。習わしの発端は参拝客のとっさの行動だったようだが、滝行と不動明王とはそもそも関係が深い。お寺としても、止める理由はなかったのだろう。

水掛けられ不動

 参拝者の立つ位置からお不動さんまでは若干距離があり、多少の勢いをつけないと、放った水は届きすらしない。
 おのずと写真のように豪快にぶっかける形になるのだが、この少々ダイナミックで一見して不敬とも映る行為が、夜の街を渡り歩く庶民の酔い覚ましのアトラクションとして、大いに受けた面もあったと思われる。じっさいに水をかけてみて、そう感じた。

 そんなお不動さんの身に最近、水ならぬ、とんだ災厄が降りかかった。
 お不動さんとともに三尊をなす眷属の童子2体が、頭部の苔を剥がされる被害に遭ってしまったのだ。このことは、今月3日に明るみとなった。

 発見自体はもっと前で、昨年の12月20日。参拝客が見つけて、お寺に伝えたという。
 防犯カメラの録画をさかのぼると、発見の前日19日の早朝5時ごろに、何者かが柄杓で苔を落とすさまが、はっきりと映しだされていた……

 ――むむ?
 上記の写真の撮影日時、すなわちわたしが法善寺にいたのは、昨年の12月18日の20時半ごろだ。
 無残にも苔が剥がされてしまったのは、写真手前の童子に他ならない。一掃される直前の、70余年分の苔のほとんど最期の姿を写したのがこの写真ということではないか……!

 今月の3日に大々的に報道されてからわずか5日後、犯人は懲りずにのこのこと境内へやってきた。放火犯や殺人犯が現場を見に戻るのと、同じ心理だったのだろうか。寺の人に通報されたものの、反省の度を考慮して立件は見送られたとか。
 罪状は器物損壊と礼拝所不敬(そんな罪があるのか)という。
 石仏じたいは江戸後期のもの。風化・摩耗の進んだ石の表面は脆く、苔が剥がされた際に一緒に落ちてしまうとも考えられるから、立派な器物損壊だ。殊にこの石仏に関しては、苔が信仰の証・時間の蓄積を示してもいて、苔を含めての文化財といえる。
 水掛不動はこの地域、ひいては大阪のシンボルのひとつ。罪に問われないとしても、その責任は重いだろう。

 「掃苔(そうたい)」と呼ばれる変わった趣味がある。
 苔を掃(はら)う、つまり古い墓石の銘文を探って、そこに眠る者を偲びいわれを紐解くことを指す。転じて、もう少し広義に、直接の交渉もなければ血縁があるわけでもない故人への墓参をも意味する。
 先日も尾形乾山の墓参に行ってきたわたしには、たしかに掃苔趣味があるのだけれども、お不動さんの苔を掃った犯人は断じてわたしではない……そこらへんはご安心を……

     *

 今回のタイトル「月の法善寺横丁」は、むろん、藤島桓夫が歌った往年の名曲から拝借。曲名としては「月の法善寺横」が正しいようだが、書きたいのは曲でなく場所(寺)のことなので、こちらにした。
 あの日、少しでも雪がちらついていれば、パロディらしく「雪の」としたかったところ、そうもうまくはいかなかった。

 ♪ 包丁一本 さらしに巻いて~

 じつは、YouTubeで確認するまで、曲と曲名が一致していなかった。お恥ずかしいかぎり。
 この歌、寅さんも口ずさんでいたっけ。

 ――法善寺に灯されたたくさんの提灯は、千日前の喧騒にあって、月明りのような存在だ。
 ネオンサインがいくら個を競って派手に飾りたてたとしても、そのど真ん中にあるこの提灯を見たときのほっとさせられる存在感には、到底かなわない。
 夜、ひとりきりで街灯もない田舎道を歩くとき、月の光がどれほど頼もしいか。法善寺の存在は、それによく似ている気がした。


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