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大和の美 /奈良県立美術館
大和国ないし奈良県に、なんらかの形でゆかりのある絵画作品を集め、おおむね時代順に紹介していく、「県立美術館」らしい企画である。
① 大和で描かれた絵
② 大和を描いた絵
③ 大和出身の人や、大和にゆかりのある人が描いた絵
出品作のあらましは以上のようなもので、こういった絵すべてに、「大和」を超えたなんらかの共通項を見いだすことは、かならずしも容易ではない。
だがその多様性や「ごった煮」感も、本展の魅力といえよう。
序章では古代が扱われる。高松塚古墳や法隆寺金堂の壁画などいずれも模写で、なかなか現物とはいかないが、御物の模写である《聖徳太子ニ王子像》(明治30年 奈良国立博物館)には「春日絵所預」との落款が入り、次章へのフックとなっている。
「絵所預」とはいわばお抱えの御用絵師で、春日大社の場合は絵馬の制作や社殿の彩色に携わることもあった。南都の有力社寺の絵所に属した中世の絵仏師たちが、第1章の主役。春日絵所のニ条英印《鹿島立神影図》(南北朝時代・永徳3年〈1383〉 春日大社 奈良県指定文化財)、東大寺絵所の芝琳賢《東大寺縁起絵巻》(室町時代・天文5年〈1536〉 東大寺 重文)などが並び、画技の高さが示されていた。
また、同章では多武峰に暮らした周耕、唐招提寺の僧だった鑑貞といった画僧、筒井氏の一族で岩倉城主であった武人画家・山田道安らの水墨・淡彩画も展示。
鑑貞の山水は構図感覚に素人味があって、ちょっとへんてこ。みやこぶりとは異なる、崩れたおもしろみがある。
第2章は近世絵画。このあたりから前掲①~③のカテゴリーが混在し、たとえば③の「大和とのゆかり」が、あるにしても比較的薄めの作家が含まれているなど、ひと口には語りがたい状況となっていく。
考えてみれば、有力な社寺のあるところに絵師の仕事は発生しうるし、京や大坂からも距離的に遠くはないので、なにかとつながりは生まれやすいのだろう。
そのなかで特筆したいのは「純ローカル」の絵師たち。
鹿のもふもふとした描写を得意とした、興福寺勤務の内藤其淵。あまりのリアルさに、ホンモノと勘違いした牡鹿が絵を突き破った……というおもしろエピソードも伝わっているくらい、其淵の鹿はもふもふ。
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其淵の弟子・堀川其流の鹿は、強烈。
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中国・清時代にはこの種の「百鹿図」が吉祥の画題として好んで描かれ、工芸の意匠にも採り入れられている。これだけの鹿をひとつの画面に描き込んだ日本の絵師は、他にいないのではないだろうか。
菊池容斎《五百羅漢図》(江戸時代・文政10年〈1827〉 奈良県立美術館)などを思い起こすと、執拗なまでの細密・多量の描写ぶりはこの時代らしい傾向だなとは思われるものの、鹿たちの群れ方・散らし方には、観る者を飽きさせまいとする絵師の工夫ぶりがうかがえる。
展示は、没後100年を迎える郷土の洋画家・大村長府の特集に入る。
長府は明治から大正にかけて活動した、奈良における黎明期の洋画家。お水取りや春日祭などの風物詩を多くモチーフにしており、奈良県美では作品や資料を受贈していて、近年研究が進められている。
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続く近代洋画の章では「移住」がひとつのキーワードになる。
大正5年頃、浜田葆光(ほこう)、足立源一郎ら中央画壇で一定の活躍をした洋画家たちが、奈良の風光に惹かれ、相次いで移住してきた。大正8年には奈良初の洋画展「あしび会」を開催、奈良の地に本格的な洋画の種を蒔いた。
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(昭和7年 奈良県立美術館)
大正14年には志賀直哉が移住、彼を慕って奈良へやってきた洋画家たちもいた。
志賀の周囲に形成されたサロンは3年後の志賀の転居後も続き、東大寺観音院の上司海雲師のもとに入江泰吉、杉本健吉、須田剋太らが集った。
かならずしも、すべてが該当するわけではないが……葆光《水辺の鹿》のように、奈良の外からやってきた画家たちが、じつに「奈良らしい」モチーフを選択しているのに対し、奈良出身の画家たちはより卑近な、地域性の希薄な絵を描いているのは興味深かった。
地元の人は、その土地のよさを、案外よくわかっていなかったりする。われわれが観光に来て出会う「地元の人」とは、多くの場合、観光の最前線に立つ人びと。土地のよさを当然わかっているし、アピールもする。だが、そうではない場合は……いざ奈良で働いてみて、実感するのだ。
ただしこれは奈良にかぎらないことで、わたしだって、仙台のことを褒めそやされたとて、当惑するだけだ。
それに、本展は1作家1点のチョイスになっているから、たまたまそうなっている可能性が高く、ざっくりとした感想にしかならないし、絵の良し悪しにはもとより関係がなく、モチーフの選択は画家の自由だ。
けれども、わたしとしてはなんだか、妙に納得してしまったのだった。
さて、サロンに集った杉本健吉、須田剋太、そうではないけれど奈良の古社寺をしばしば描いた須田国太郎の作品を1点ずつ並べた壁がたいへん魅力的で、食い入るように観た。いずれも東日本の美術館ではあまりお目にかかれない、関西らしい作家たちといえよう。
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杉本健吉《博物館彫刻室》(昭和21年 奈良国立博物館)には、興味深いエピソードが添う。展示室に当時あった天井の自然彩光から、展示ケースに差し込む光のハレーションに魅せられ、健吉は代表作となる本作をものにしたのだという。
中央のケースには興福寺の阿修羅像、背後には十大弟子像が入っている。しばしば無機質と貶されてきた博物館の展示室に対し、健吉は異なる視線を投げかけており、それを説得力あるかたちで表現することに成功している。
須田剋太《新緑の東大寺》(昭和43年 奈良県立美術館)。下の写真は二月堂の舞台から、ほぼ同じ方角で撮ったもの。絵はこれより下、右下の瓦屋根(参籠所)あたりから描いたものだろうか。
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画像が見つかっただけありがたいけれど、屋根の青は、こんなものではない。実見した本作の色は、もっと鮮やかで爽やかなものだった。
むろん、ほんとうの瓦は鼠色であるのだが、絵のなかの瓦は鮮烈な青。新緑の季節を描く、抑制されたなかに生気のみなぎる佳品である。
終章は、近現代の日本画をまとめた章。
万葉の昔は、長らく憧憬の対象であった。日本画家たちも、世代を問わず「万葉日本画」を長く描きつづけている。
安田靫彦《聖徳太子水鏡御影 模写》(明治44年 法隆寺)、持統天皇を描く小倉遊亀《おもいのたま》(昭和56年 薬師寺)もそういった傾向の作である。
また同時に、これら2作が大寺院に関わる制作であることは、現代においても寺社が日本画家にとって重要な場であることを示してもいる。散華や堂宇をかざる壁画、襖絵などの作品はなかったが、薬師寺玄奘三蔵院の壁画を描いた平山郁夫、興福寺中金堂の柱絵を描いた畠中光享の作が、本章には出品。
奈良出身、または奈良ゆかりの作家による作品も、もちろん展示。先に名前の出た小倉遊亀は滋賀出身、奈良女子高等学校(現在の奈良女子大学)の卒業生で、在学時に画家の道へと進む端緒を得ている。
戦時中に京都から奈良に疎開し、そのまま在住した上村松園の《春宵》(昭和11年 奈良県立美術館)。
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本作は本展のメインビジュアルのひとつに選ばれており、ポスターにも大きくあしらわれている。
松園には固定ファンが多く、学園前には上村家3代の「松伯美術館」があり、奈良県民にもおなじみであろうが……じつは、個人的にはちょっと違和感があった。
やっぱり、松園は「京都の画家」であり、描かれているのも、京都の風俗なのだ(ついでにいうと、本作は戦前の作なので、京都で描かれている)。
いったい、どこからどこまでを「大和の美」といえるのか。「大和の美」とは、なんなのか——松園の《春宵》は、そんな問いを投げかけているように思われた。
とはいえ、バリエーション豊かな絵画が楽しめるのは、うれしい。
3月9日まで。