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ぶらり、唐招提寺:2
(承前)
天平宝字3年(759)、孝謙天皇からこの地を賜った鑑真和上が、唐招提寺を創建。金堂(奈良時代・8世紀 国宝)はやや遅れて、弟子の如宝の時代に建てられた。
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井上靖『天平の甍』、和辻哲郎『古寺巡礼』、會津八一『自註鹿鳴集』あたりを読んでこの寺を訪ねる人は多いと思われるが、八一の次の歌はとりわけ印象深い。
おほてら の まろき はしらの つきかげ を
つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ
わたしも「おほてらの まろきはしらの」と小さく唱えながら、古代の柱に触れてその鼓動に耳を傾け、列柱の合間をジグザグにそぞろ歩き、あるいは柱の影踏みをして遊んだりするわけだが……その前に、お詣りをしなければ。いかん、いかん。
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堂内に入ることこそ叶わないものの、鳥網から中を覗きこめるようにはなっている。大きなみほとけが3躯、小さなみほとけが6躯。合掌。
中尊は御本尊の《盧舎那仏坐像》(奈良時代 国宝)。向かって右に《薬師如来立像》(奈良時代 国宝)。どちらも3メートル長の像高を誇る。《盧舎那仏坐像》は、光背や台座を含めれば全高5メートルに達するが、左手の《千手観音立像》(奈良時代 国宝)はそれに匹敵する像高。
「小さなみほとけ」と称した6体、《梵天・帝釈天立像》と四方を固める《四天王立像》(奈良時代 国宝)だって、それぞれ190センチ弱もある。
みな大きな像だが、寸法以上に量感を感じさせる造形でもある。ぱつんぱつんに、張りがよい。白洲正子さんがどこかの文章で、天平仏を「熟れきった果実」と評していたことが、実感をもって思い出された。
それが、9躯も並んでいるのである。こうして鳥網を介して距離をとり、堂内の薄暗さによって緩和された状態でこそ、礼拝や鑑賞が成り立つのかもしれないが、もし同じ堂内に身を置いたとしたら、怖くて、逃げ出したくなりそうではないか……そのように想像できるまでの、威容を感じさせるのであった。
金堂の東奥に進むと、このような景色が広がっている。
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中央の鼓楼(鎌倉時代・仁治元年〈1240〉 国宝)には、唐より請来の仏舎利を安置。右の礼堂(鎌倉時代 重文)で、その仏舎利の礼拝をおこなう。左の大きな建物は講堂(奈良時代 国宝)。
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毎年5月19日に催される梵網会(ぼんもうえ)では、鼓楼の上からハート形の「うちわ」1,500枚がばら撒かれる。
花嫁のブーケトスにも似た、通称を「うちわまき」(そのまんま)というこの行事が、以前より気になって仕方なかった。ブーケと同じく、うちわもまた縁起物として好まれるという。来年こそは、運だめしにぜひとも参加してみたいものだ。
金堂の裏手に位置する講堂は、平城宮の東朝集殿を移築・再利用したもの。奈良時代の官僚が執務した平城宮の建物が、形を変えて現存しているのである。なんと(710)まあ、驚くべきこと!
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じつは、唐招提寺に残る最古の建物は金堂でも、この講堂でもない。
礼堂の東に、同じ校倉造の宝蔵と並んで立つ経蔵(いずれも奈良時代 国宝)が、最も古い。しかも講堂とは違って移築ではなく、この地に唐招提寺ができる以前、天武天皇の皇子・新田部親王の邸宅だった頃からすでに存在したという。あの正倉院よりも古い、校倉造の最古の例でもある。
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唐招提寺は、建物もおもしろい。
(つづく)
※10月12日〜14日に開催される「東美特別展」では、甍堂さんが《唐招提寺盧舎那仏光背化仏》を出品。うひゃー