古美術逍遙 ―東洋へのまなざし:2 /泉屋博古館東京
(承前)
「古美術逍遥」という展覧会名が、さりげなく秀逸であった。
“泉屋博古館所蔵の古美術名品展” というわけで、多岐にわたるジャンルの作品が、それぞれ1点ないし数点ずつ出ている。このような総花的な展示では、テーマの深掘りはしがたい反面、コレクションの全体像や特徴、好みの傾向などはつかみやすいといえる。
数歩進めば趣の違った、けれどもどこか趣味の近さを感じる作品が現れる。蜜蜂が花から花へと巡っていくようにあちらこちらへ、色とりどりの花、さまざまな味わいを求めて往く鑑賞者のすがたには「逍遥」の語が似合う。
ホールの右手、リニューアル前からあった第1展示室は、中国絵画の部屋。住友吉左衛門友純の長男・寛一(かんいち)が集めた良質の明清絵画である。
八大山人《安晩帖》は、ちょうどあの魚の頁だった。
ぎょろ目に、口をあんぐり。じつに、いい顔をしている。うーん、かわいい……
展示では観られなかったが、この次の頁が鵜の図だというのもおもしろい。
石濤(せきとう)による画帖と画巻は、天下の奇勝・黄山(中国・安徽省)を描いたもの。かたわらには漸江の《江山無尽図巻》も出ており、比較が楽しい。
石濤山人のすばらしさもさることながら、漸江の画巻の視線移動の妙を、この日のわたしはより好もしく受け止めたのであった。
静かなる大河に突如せり出してくる、峨峨たる岩山。その起伏に目を驚かせていると、先ほどの大河がまたこちらに迫り、クローズアップされる。岩山の向こう側に、大河は続いていたのだ……
※よい画像が落ちていない……こちらの展示に石濤・漸江どちらの画像も出ているので、ご紹介
中国絵画の部屋を含む、もとからあった2つの展示室は、中心のホールから左右に分かれた両翼に位置する。この2室をつなぐホールの裏手にもう1室、細長い第2展示室ができていた。ここでは中国・朝鮮・日本の仏教美術を展示。
まず出迎えてくれたのは、高麗仏画の《水月観音像(楊柳観音像)》。
仏教が厚く信仰された高麗時代の仏画は、豪華絢爛・繊細優美を兼ね備える格調の高いもの。現存する作例は、世界にわずか160点あまり。制作された朝鮮半島よりも、日本に伝世したものが多い。この大幅も、もとは高野山にあったものだ。
見上げるほどの大きさ、仰ぎ見る観音さまの崇高さ、細緻この上ない截金(きりかね)細工の輝きに、ため息が出る。とくに衣の透け感、指先の描写には息を呑んだ。
2016年の「高麗仏画―香り立つ装飾美」展以来の再会。あのときは高麗仏画ばかり何点も並んでいて卒倒しそうであったが、今回、この一点を集中して堪能することができたのはよかった。しばらく、この観音さまの前にいた。(つづく)