「生々流転」誕生100周年記念展:2 /横山大観記念館
(承前)
本展の開催を知るきっかけは、山種美術館で入手したA4判のリーフレットであった。
横山大観記念館の宣伝物を他館で見かけるのは初めてで、まずはその点に驚いた。
今回の展示はそれだけ気合が入っているのだなと察せられ、もちろん内容にも惹かれて、馳せ参じることにした。
池之端の横山大観記念館には、大観の自宅と庭がそのまま残されている。
お蔵の中もそのままで、完成作品や習作、手紙、愛用した画材や日用品、愛蔵した古美術品が守り継がれてきた。
大観がこの地に居を構えたのは、大正8年(1919)のこと。間取りや室内デザインは大観自身が手がけるなど、こだわりの邸宅だったが、空襲によりあえなく焼失している。
現在の建物は昭和29年(1954)、残った土台の上に、戦前と同じように再建されたもの。大観は最晩年の3年半をこの家で過ごし、89歳で没した。
大観の終の住処にして、数々の名作を生んだこの家、戦前から日ごろ眺めていた庭こそが、記念館の見どころとしていちばんに挙げたいものといえよう。
※2階の画室を除き、撮影禁止。こちらのページには写真が多数掲載っている。
小さな部屋に《生々流転》の小下絵や未完本が展示されていたが、本展はそれのみには終わらない。そのほかの各部屋や廊下にも覗きケースが置かれるほか、床の間には、お軸がしつらえられているのだ。
軸物は《洞庭の夜》(大正10 年頃)、《木菟》(大正11 年)、《杏》(大正13 年)。みな、ガラスを隔てない露出の状態で、床に掛けられていた。いずれも《生々流転》(大正12年)に近い時期の作例である。
これら軸装の作品に共通するのは、霊気が漂うかのような、モワッとした荘厳な雰囲気。じつに大正日本画らしい特色といえ、《生々流転》にも通じるものがある。
なかでも《洞庭の夜》は、画題・表現のどちらをとっても、《生々流転》との親和性が感じられる。
中国・洞庭湖畔の名勝「瀟湘八景」は大観がしばしば手がけた画題で、《生々流転》にもそれを下敷きにしたと思われる要素が散りばめられている。2年ほど先行する《洞庭の夜》は、《生々流転》へと至る道筋の途上にある作といえよう。
《洞庭の夜》は、客間であり、夜な夜なおこなわれた晩酌の場でもあったという「鉦鼓洞(しょうこどう)」の広い床(とこ)に、収まりよく掛けられていた。
やはり……掛軸は、床の間でこそ本領を発揮するものだ。
とりわけこの種の「モワッとした」絵は、明るく、はっくりくっきり見えてもしかたがない。床の間の抑えた照度でこそ奥行きを生じ、活きるのだ。
掛軸とは、いうまでもなく床に掛けるための体裁。白や灰色の壁紙をバックに、ピクチャーレールからぶら下げられた姿ばかりを見馴れてしまっているけども、本来企図された姿とは大きく異なる。
日本家屋の床の間に収められた、ガラスのない状態——すなわち、本来的なありかたに根ざした鑑賞を、横山大観記念館では愉しむことができた。
正座をした目線の高さ、床板を挟んだ距離、沈みこむ畳の坐り心地、薄暗さ……これらが一体となった環境は、いまとなってはなによりのぜいたくであろう。しかもここは、大観の作品の多くが生み出された現地でもあるのだ。
東京のどまんなかにあるこの貴重な空間は、財団の方々によって懸命に守られ、運営されている。
このたび久しぶりに訪ねてみて、雰囲気はそのままに、以前よりもかなりきれいに整備されていることに気がついた。庭の手入れも余念ない。ぜひ、多くの人に訪ねてほしいと思った。
※横山大観記念館のVRなるものを見つけた……室内にはクイズも。完成作と未完成作を選ぶ2択がおもしろい。
※「日本家屋に掛軸をかざる」話題。