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隠された存在:3 絶対秘仏

承前

 どこに消えたか行方知れずの美術品に比べると、ご開帳の期間が決まっている秘仏のほうが、状況はなんぼかよいだろう。
 ご開帳のその時を気長に待ってさえいれば、お目にかかるチャンスがあるのだ。不定期のご開帳というのもありうる。
 そもそも美術品のほうだって、都合よく解釈すれば「いつ姿を現してもおかしくはない」とも言い換えられる(ほんとうに都合がよすぎるが)。どちらにも、可能性はまだ残されているということだ。

 美術の周辺にある「隠された存在」としては究極と思われるのが「絶対秘仏」という概念。
 秘仏よりもさらに厳重に秘された存在で、けっして誰の目にも触れさせてはならない。寺の者、ご住職ですら目にしたことはないとされているのだ。
 「お水取り」で有名な東大寺二月堂のご本尊、雷門の浅草寺のご本尊、長野・善光寺のご本尊の3体が「絶対秘仏」として知られている。
 いずれもいわずと知れた大寺院で、多くの参拝客が訪れるが、みな同じ方向を向いて祈りを捧げるその中枢にあるものを、じつは誰ひとりとして確かめたことがない、ということになる。
 現代の文明の光をもってしても、照らしつくせない闇。信仰の続くかぎり、「絶対秘仏」の扉は固く閉ざされつづけるのだろう。

 3つの「絶対秘仏」のなかで、そのすがた・かたちがいちばんはっきりと認識されているのが、善光寺のご本尊だ。一つの光背に阿弥陀三尊が入る形式は「善光寺式」と呼ばれ、模刻像が諸国に伝播した。

 善光寺は7年に一度のご開帳を迎えていて、「絶対秘仏」の最も精巧な模刻像である前立(まえだち)本尊(鎌倉時代 重要文化財)を、今月末まで拝むことができる。
 わたしも先日、善光寺詣りをしてきた。疫病蔓延による延期を乗り越えて、活気と勢いを取り戻しつつある町の姿が印象的であった。

 お厨子の扉に阻まれるよりも、こうして前立本尊のおわすほうが、なんというか……より観てみたい気持ちになるのは、なぜだろう。
 見えないからこその神秘であり、有り難さだともいえるのだろうか。いまの世の中、見えすぎるものが多いから……
 

 ※東大寺二月堂、浅草寺、善光寺の絶対秘仏については、以下のリンクに詳しい



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