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「てこな」を訪ねて 市川さんぽ :3

承前

 真間を舞台とした悲しいお話が、もうひとつある。
 上田秋成『雨月物語』中の名篇とされる「浅茅が宿」だ。

 京で一旗揚げようと、妻・宮木を真間に残して行商の旅に出た勝四郎。7年の歳月が過ぎ、ようやく故郷に戻った勝四郎は宮木に再会し一夜を共にする。目が覚めると宮木はおらず、そこには小さな墓があった……

 『雨月物語』の各篇は中国や日本の説話の翻案で、「浅茅が宿」も例に洩れないが、物語の舞台を真間と設定したのは秋成の創意による。真間という地名を出すことで、悲劇の女性「真間の手児奈」のイメージをちらつかせ、不穏な未来を暗示する効果を狙ったのだろう。
 賢明な読者もまた、真間といえばすぐさま手児奈を想起して、そのイメージを引きずったまま読み進めていった。手児奈のイメージを起点とした著者と読者との駆け引きが、ここには成り立っている。
 美しく貞淑な妻・宮木は言い寄る男どもを拒み、夫・勝四郎を待つが、再会を果たせずひとり寂しく逝く――同じ真間の地で繰り広げられた手児奈と宮木の運命には重なりそうなところもあるけれど、一致はしない。手児奈の伝説をトレースしても、おもしろみがないからであろう。
 それでいて秋成は、真間という地名が気掛かりな読者へのフォローを忘れず、物語の最後に伏線を回収する。古老の話として、真間の手児奈について言及するのである。それを聞いた勝四郎は、宮木を手児奈になぞらえた歌を詠む。

いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋てしあらん真間のてこなを


 手児奈の伝説と『雨月物語』の関係性は、溝口健二監督の同名の映画(1953年)と原作の関係性においても相似形をなすように思われる。
 映画は「浅茅が宿」の筋を軸としながら、同じ『雨月物語』の一篇「蛇性の婬」を組み合わせ、さらにはモーパッサンから得た着想も加味して大胆に構成しなおされている。
 『雨月物語』を通読した者であれば、そのモンタージュぶりに意表を衝かれ、また膝を打つ思いがするなどしてより楽しめることだろう。下敷きとするものを「踏まえる」ことができている者どうしの駆け引きが、ここにも発生している。
 もっとも映画では、真間は舞台からはずされ、近江国の琵琶湖近くに置き換えられている。
 靄がかるなか、背の高い葦をかき分けて湖面を進む小舟の情景は夢に出るほどの不気味さだが、そういえば、手児奈がいたかつての真間にも、このような水辺が広がっていたはずである。
 そのことを考慮すれば、この映画ですら、やはりまだ真間のイメージを引きずっているではないか……などと思ってしまうのだ。


 なお、代々木八幡の「テコナベーグルワークス」の店名の由来には、ウェブではたどり着けなかった。
 店主は、真間の界隈に縁がある方なのだろうか?
 エコバッグにプリントされたスペルは「tecona」となっているので、「真間の手児奈」の「てこな」ではなく、案外、異国の言葉から持ってきた店名かもしれない。ベーグルはもともとユダヤ系の人々が食していたものであるから、そちらの言語がもとになっているとか……?
 情報求む。

※手児奈霊神堂の裏手の通りを南へ数分行ったところ、小学校の斜向かいに、「hana」という、それはそれはかわいらしいお菓子やさんがある。柚木沙弥郎さんのお孫さんが開いているお店で、店内も包装もお菓子も柚木さんデザイン。わたしもしばしば利用させてもらっている



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