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春日若宮おん祭:1 大宿所詣と御湯立神事

 大和国一国を挙げての祭礼といわれる「春日若宮おん祭」。毎年12月15日から17日の3日間にわたって、奈良市中心部で盛大に執り行われる。
 なかでも17日の「お渡り式」は、装束をまとった、のべ1,000名もの人びとが街を練り歩く一大行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 奈良時代に創建された、藤原氏の氏神・春日大社。平安時代中期・長保5年(1003)には、本殿に祀られる天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売神(ひめのかみ)のあいだに、若宮神が誕生したとされている。おん祭は保延2年(1136)に始まり、今年で889回を数える。
 こちらは《春日宮曼荼羅図》(鎌倉時代・13世紀  南市町自治会  重文)。左下の塔を除けば、現在もほぼ同じ風景が広がる。長い参道の突き当たりを、左に曲がれば本殿、右に曲がれば若宮の社殿へ至る。

 若宮のフレッシュなパワーは、貴族だけでなく武家や庶民からも厚い信仰を集め、その祭礼であるおん祭は、一摂社の例大祭でありながら本殿をも凌ぐ規模の、大和国全体を巻き込んだ大イベントとなっているのである。

 さんざん “奈良好き” を自称しておきながら、わたしはこれまで、この時期の奈良にはあまり縁がなかった。秋の正倉院展からほとんど間をおかず、奈良をまた訪ねるという発想には(予算的な意味でも)なれなかったからであるが、16日の東大寺三月堂の御開帳には、一度うかがっている……だけどそのときは、おん祭にはなぜか寄らなかった。
 それもこれも、大和の民の端くれとなってから初めてのおん祭——この日のための、きっと「前振り」だったのだろう。
 フル参加とはいかなかったものの、15日と17日の両日、群衆に加わってきた。

 おん祭の日程は、先に触れたように「12月15日から17日」として周知されているものの、15日と16日はいわばその前哨。17日未明からの24時間が、祭の本番だ。
 とはいえ、今年は15日が日曜日とあって、こちらもなかなかの賑わい。
 この日は、餅飯殿(もちいどの)のアーケードに面する大宿所(おおしゅくしょ)まで、装束をまとった一団が街なかを練り歩いていく。春日大社の神領から選ばれた4人の巫女「四神子」が、おん祭への奉仕を前にお祓いを受けるべく、徒党を組んで大宿所へと向かうのである。
 この「大宿所詣(おおしゅくしょもうで)」の列は、JR奈良駅をスタート。近鉄奈良駅方面へ回り道をしながら、餅飯殿の大宿所をめざす。

12時14分、JR奈良駅の旧駅舎前にて記念撮影
12時45分、行列スタート。四神子は辰市神子、八嶋神子、郷神子、奈良神子からなる
男装する女性の姿も。地元の大学生が多く加わっているようだ
天気にも恵まれた
ピーヒャラ、笛の音が響く

 行列にくっついて800メートルほど歩き、南都銀行の前で離脱。ひがしむきのアーケードを近鉄奈良駅方面に進んでいく神子様御一行をよそに、逆方向の餅飯殿・大宿所へ行ってみた。ひと足早く、先回りする恰好である。
 ふだんは門扉で閉ざされている大宿所。敷地には誰もいないし、なにも置かれていない。街なかのエアポケットのような場所が、おん祭の期間だけは多くの人が集う場所に変貌を遂げる。

大宿所では、大和士(やまとざむらい)が参籠し精進潔斎をおこなう。神事を前に、賑わいはじめた

 ここでは「のっぺ汁」の御接待をいただいた。上の写真右手にテントが組まれており、大きな羽釜で炊かれた特製の汁物がどんどんよそわれ、配られていく。行列に伴走しているときは意識しなかったが、寒空の下で、身体は冷えきっていた。アツアツが、沁みてきた。

具は大きめ、歯ごたえしっかり。味つけは塩数振りといったところか。野菜の甘みがそのまま活かされている

 大宿所では「御湯立(みゆたて)」と呼ばれる古式ゆかしい神事がおこなわれる。
 これからおん祭の列に加わる者たちを迎え、穢れを取り払うのである。この神事を受けるため、行列は大宿所へやってくる。

行列が到着する直前。中央に釜がみえる
「懸鳥(かけどり)」。かつては各地の大和士が、現在では春日の氏子たちがこういった供物を寄進。鮭に鯛、そして雉が、これでもかと吊るされている

 御湯立神事は、四神子はじめ大宿所詣の行列に加わる者たちが受ける1回め、大和士たちが受ける2回め、一般参拝者向けの3回めに分かれている。わたしは、比較的混雑が避けられそうだと思われた2回め(16時30分~)を拝見。そのときのもようが、次の写真である。

 ぼこぼこ、ぐつぐつ……沸騰した釜の湯に、笹の葉の束を浸しては上げ、浸しては上げ。モクモクと白い湯気が高く広がり、湯のしずくが飛び散る。

 しずくを浴びると、ご利益があるという。とりわけ安産によいとされ、それとおぼしき若い女性の姿もみられた。

 大宿所の室内には、17日の「お渡り式」の大行列に参列するさまざまな役どころの人びとが着用する装束が、所狭しと飾られていた。

 お渡り式を観終えた現在、改めてこの写真を見ていると、どの装束や持ち物にも見覚えがある。これはあの衣装、あれはどの衣装などと、親しみが湧いてくるものだ。

 準備は、おん祭の主な会場となる御旅所やその周辺でも進められていた。
 御蓋山中腹にある若宮社殿を出て、奈良公園内の御旅所まで——年に一度だけ、里まで遊びにいらっしゃる若宮神を楽しませ、喜ばせることによって国家の安寧を祈るのが、おん祭という行事である。
 12月17日の丸一日、下の写真中央の「御假殿(おかりでん)」に神は滞在する。この神前を舞台として、さまざまな芸能が披露、神に捧げられていく。

左右は鼉太鼓(だだいこ)。まだヴェール(シート)に包まれている
参道の一部、馬が走る中央部には、新しくふわふわな砂が盛られている。左・竹矢来の先が御旅所、右は観覧席。どちらも、ふだんは影も形もない(竹矢来だけは常にある)

 話が前後するが、御湯立神事がはじまる16時半までの時間を利用して、こうして奈良公園の御旅所へ、さらには、もちろん、春日大社本殿と若宮への参詣もしっかりすませてきたのであった。

若宮
本殿脇、きれいなイチョウ

 ——3回めの御湯立神事のあと、「大宿所祭」が挙行され、今年のおん祭がつつがなく催行されることが祈念される。奈良の一年を締めくくるおん祭は、こうして幕を開ける。(つづく

 

 


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