ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント:2 /東京都美術館
(承前)
■気が合いそうなヘレーネさん
よく知られているように、ゴッホの絵は生前には1点しか売れなかった。購入者は、画家のアンナ・ボック。ヘレーネさんは、ゴッホと直接の交流をもっていたわけではなかった。
ゴッホが自ら命を絶ったのは1890年。ヘレーネさんが美術に開眼し、初めてゴッホ作品を購入したのが、18年後の1908年のことだ。
いうなればヘレーネさんは、ゴッホを直接知る人がご存命の時期、まだゴッホの体温や息づかいがわずかに残るなかで、作品を追いつづけたのだった。
生身のゴッホに、自分はタッチの差で間に合わなかった……そんなやるせなさも、蒐集の意欲とスピードを加速させたと推測される。コレクターとは、そういう因果な生き物じゃないだろうか。
展覧会の冒頭を飾るのは、ヘレーネさんと、ヘレーネさんに美術の手ほどきをし、蒐集のブレーンを務めたブレマー氏の肖像画、そしてゴッホ《療養院の庭の小道》の3点。
これに続く最初のセクションには、ヘレーネさんが集めたゴッホ以外の作品が並んでいる。
《療養院の庭の小道》の雄渾な線に、つい気分が高揚してしまうが、しばらくゴッホ作品は出てこない。ゴッホが観たいと息巻く人々への「ガス抜き」のようなポジショニングとなっている。
しかし、である。
このあとのセクション、けっしてオマケなどではない。
ミレーにルノワール、ピサロ、スーラ、シニャック、ルドンから、ブラック、モンドリアンまで。しかも絶品。各作家1点ずつが登場するなかで、ルドン《キュクロプス》が出てきたのには恐れ入った。教科書で見た代表作じゃないか……
逆に、お気に召さない作家・作品は頑として購入しなかったという。
なるほどたしかに、体系的にはなっていない。
けれどもそれ以上に、佇まいに統一性が感じられた。ある感性で選びとられた、確かな一貫性が。
そして、そのヘレーネさんの目を通った絵が並ぶさまが、わたしにはふしぎなくらいに心地よく感じられたのだった。スーラやルドンはもちろん、ふだんさほど気にかけないピサロでも、好きな色調のものだった。これには驚いてしまった。どうも、ヘレーネさんとは趣味が合いそうだ。
導入部、しかもまだゴッホを1点しか観ていない状態で、もうすでに来てよかったなという気分になれた。
ゴッホの魂と響きあう前に、不肖ながらヘレーネさんの魂と響きあったとでもいえよう……(つづく)
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