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木津川の古寺巡礼:5 旧燈明寺・現光寺

承前

 浄瑠璃寺の門前から再びバスに乗り、山中を抜けて、木津川沿いの盆地まで下りてきた。JR加茂駅前で下車、徒歩10分。橋を渡れば、旧燈明寺である。

橋のたもとには、御開帳を示すのぼりが

 じつは、木津川巡礼の最大の目的地こそ、この旧燈明寺。岩船寺や浄瑠璃寺、比較的近い海住山寺や恭仁京跡には来たことがあるものの、旧燈明寺は念願叶って初訪問である。
 燈明寺の創建は、奈良時代とも平安時代ともいわれる。近世までに荒廃と復興を繰り返してきたなかで古記録が散逸し、詳しいことがわからなくなってしまったのだろう。明治に入って衰退はさらに進み、戦後すぐ、ついに廃寺となった。

石段をのぼる

 往時を偲ぶ建築は、燈明寺の鎮守だった御霊神社の社殿と寛文期の庫裡(非公開)のみとなっている。
 社殿は南北朝時代の三間社流造で重文。奈良・氷室神社から移したという。まずはこちらに参拝。

 上図の向かって右手が斜面になっており、その途中の台地に、燈明寺の三重塔がそびえていた。高台に立つ塔が、盆地の人びとを見守っていたのだ。周辺の村落のどこからも、その偉容がよくうかがえたことだろう。
 三重塔はもうここにはないけれど、現存はしている。大正3年(1914)、神奈川県横浜市の三溪園に移築され、現在も立っているのだ。
 稀代の古美術コレクター・原三溪が、由緒あるすぐれた古建築を集めた三溪園。生前に横浜市へまるごと寄贈され、通年で公開されている。

三溪園のシンボルといってよい、丘の上の三重塔(三溪園の写真はすべて2020年2月撮影)
燈明寺と同じく高台に位置するが、こちらは背後に山がないため、さらによく目立つ
室町時代中期・康正3年(1457)頃の建。重文
関東地方では最も古い塔である

 わたしはかねがね、三重塔がもとあった燈明寺の跡へ行って、かつての姿に思いを馳せてみたいと考えていたのだ。
 下図が、三重塔の跡地。礎石ごと持って行かれてなにも残っていないが、たしかに、あの三溪園の塔がちょうど入るくらいの面積だ。

 ここを端から端まで歩いたり、神社側から見上げたりして、想像を膨らませた。

 三溪園にはもう1棟、燈明寺から移された建築がある。三重塔と同じ頃に建立された大きな本堂で、こちらも重文。

 昭和23年頃に台風を受けて大破・解体、保管されていた部材を三溪園が引き取って、昭和56年に再建された。
 原三溪の没(昭和14年)よりだいぶ経ってからの話であり、三重塔がつなぎ、呼び寄せた縁といえるだろう。
 本堂の跡地は、三重塔の跡地とは反対側、神社の向かって左手にあった。下図の一段高くなっている区画である。

 本堂の移築後、跡地には収蔵庫が建てられ、燈明寺に伝来した5躯の観音菩薩立像(いずれも鎌倉時代  京都府指定文化財)をはじめとする文化財が、文化の日の前後に限って公開されている。
 こちらの収蔵庫に加え、その近辺の燈籠(下図)、鎌倉後期の十三重石塔も忘れず拝見、旧燈明寺を辞した。

「燈明寺型」と呼ばれるタイプの燈篭で、その名のとおり燈明寺のものが本歌であったが、享保12年(1727)に本堂の修築費用捻出のため三井家に売却、本品はその際につくられた写しとのこと。本歌は現在、洛中の真如堂にある(真如堂のページに写真が)


 さらに10分ほど、川沿いを往く。ぽかぽかとした日和に、心もなごむ。ススキが風に揺れていた。

 集落のなかの、軽自動車すら通れないほどの小道に、「現光寺はこちら」との看板が現れた。門は見えない。この看板がなければ通り過ぎてしまいそうな……というか、看板があってもためらってしまうくらいの、私道めいた細道に入っていった。

細道を振り返ったところ

 おそるおそる入っていっても、ついぞ門は現れなかったが、お堂と収蔵庫は現れた。これが現光寺だという。

 小ぶりの収蔵庫は、仏像めぐりのみなさまで満員御礼。順番待ちをして入堂した。
 《十一面観音菩薩坐像》(鎌倉時代  重文)がみなさまの、そしてわたしのお目当て。坐像の十一面観音とは、非常にめずらしい。たいへんみずみずしく、若々しさにあふれた、慶派の佳品である。
 切れ長の瞼から覗く玉眼の輝きは、観る角度を変えるごとに、みほとけの表情すら違ったものにする——そういったことを、解説役の方が教えてくださった。
 試してみると、まさにそのとおり。いろいろな角度から観て、長居してしまった。
 むろん、玉眼の仏像全般にいえることではあろうが、このお像に関しては、とくにそう感じたのであった。
 涙で潤むように、瞳がきらめく。そこには、繊細な技巧とともに、敬虔な祈りが込められているのだろう。

 ——駅までは、来た道を引き返さずに、あえて別の道を歩いて行った。
 次の電車は50分後……急ぐ旅でもなし、ゆっくり帰ろう。
 ここは南山城。山ひとつ越えればそこは大和国、わたしの住むところなのだから。

 


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