世羅(セラ)へ… :2
(承前)
参道を抜けると背の高い樹木が増えて、日差しが梢に阻まれる。小さな池もあって、あたりはひんやりと涼やかだった。
苔のむした階段をのぼっていくと、台地上に2、3のお堂が散在。最も大きなお堂が観音堂で、18世紀初めの建立という。今回の主役・十一面観音像はかつてこのお堂に安置されていたが、現在はその脇の小さな収蔵庫におわしていて、年に一度の開扉を待っている。
収蔵庫の前には十数名が集っていた。地元の世話人と思しき人が過半を占めていたが、わたしと同じようにこのために世羅に馳せ参じ、そわそわとその時を待ちかまえる者も数名見受けられた。まもなくお坊さんがお経をあげ、開帳の時。
龍華寺の観音さんを、写真では何度も見てきた。白洲正子さんの『観音巡礼』にも撰ばれている。ところがこまったことに、彩色にせよ表情にせよ、図版によってかなり雰囲気が異なっていた。この目で見て確かめてみたいと思った動機はそういったところにもあった。
初めてお会いした龍華寺の観音さんは、引きで見たプロポーション、立ち姿のよさが抜群で、顔つきは図版よりもずっと知性と気品にあふれていた。モダンな趣すらある顔面のほのかな彩色は後補とのことだが、流し目のような目尻・眉尻の凛としたよさを減じることはいささかもない。その透徹した眼差しに魅入られた。
収蔵庫の北東の小山に多宝塔の跡があるというので、向かった。往時をしのぶよすがは均整のとれた中世の石製五輪塔ひとつのみ。多宝塔は礎石すら残っていなかったが、展望台になっており、かつて大田荘と呼ばれた世羅盆地を一望することができた。
もう一度観音さんをながめてから参道を引き返し、さらに資料館を小一時間ほどのぞいて、バスの営業所へ。待合室に流れるラジオ中継で、大阪桐蔭の春夏連覇を知った。またしても東北勢は優勝を逃してしまった。
夏の甲子園の決勝が来るたびに、瀬戸内ひとり旅の掉尾をかざった穏やかな夏の一日のことをしみじみと思い出す。