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禅宗の美:1 /大和文華館

 日本の古美術を主に収蔵する、奈良市の大和文華館。近畿日本鉄道(近鉄)による美術館で、その名に反して(?)中国や朝鮮半島の美術にも強く、学術的に意義の高い展示を連発している。
 関東など他地方からの熱心な遠征組は、春秋の展覧会シーズンを狙って上洛、京博などをひとしきり周ったあと、近鉄で奈良へ来て奈良博と大和文華だけチェックしてトンボ返り……といった弾丸プランを、しばしば敢行している。
 結局わたしは奈良に居着いてしまい、今回は初めて自転車で大和文華にやってきたわけだが、展示室では、まさに弾丸プラン敢行中の東京のお知り合いに偶然にも再会できたのだった。
 ようこそ、奈良へ……旅人を迎える側になったのだなと、妙に感慨深い。

 大和文華館の展示には「特別展」と「特別企画展」があり、後者は館蔵品を主体に、そのテーマでカギとなる作品数点を借用する組み立てとなっている。
 このたび訪れた「禅宗の美」展も特別企画展で、虎関師錬墨蹟(下図)の修理が先ごろ完了、そのお披露目に合わせて、館蔵の禅の美術を展覧するもの。高僧の墨蹟や頂相、画僧による道釈人物画、山水などが並んでいた。

 そんな本展においても、「再会」が、じつは大きなテーマとなっている。
 今回の主役・大和文華館所蔵の虎関師錬墨蹟には、同じ詩文の前半分を同様の体裁で書いた、本来一具の作が知られている。三重・桑名の諸戸財団所蔵《坐禅語》(下図)で、本展のために借用され、おそらく初となる再会を果たしたのだ。

 なにせ、同じ詩文の前・後半である。並んでいると、ピースがはまったようであった。体裁・寸法は同じでありながらコンディションの違いはみられ、それぞれが歩んできた道が違ったことを思わせた。
 風のようにさらさらと、しかし根っこの芯は強く、柳の勁さをたたえた爽やかな草書である。

 さらにその隣には、大阪・正木美術館所蔵の虎関師錬墨蹟《聯芳偈》。やはり類似のケースで、三井記念美術館に前半分が所蔵されている。
 こちらは行書で、教えを書き与えた偈頌(げじゅ)となる。快刀乱麻の切れ味とでも形容できようか、この厳しさは、禅僧の墨蹟を拝見する醍醐味といえよう。

 正木美術館といえば「禅宗の美」の専門館で、屈指の所蔵を誇る。墨蹟《聯芳偈》の他に、詩画軸2点、渡唐天神を借用。近々、正木にもうかがわないといけなかったなと思い出す。

 渡唐天神は、天神信仰と禅宗を習合させた図像。この話(下記ツイート参照)を聞くたびに「えげつないことするな~」と思うが、非常によく見る図像で、広く流布した伝説であることがわかる。

 ※無準師範は菅原道真の300年ほど後の時代の禅僧。

 菅原道真が生誕したと伝わる場所は、じつは大和文華館からもそう遠くないところにある。現に筆者は自転車にまたがって、その「菅原の里」界隈を経由して大和文華館にやってきている。それほど近いし、わが家の近所を含めて、天神さんを祀るお社が多く分布してもいる。
 ご当地というわけでもないけれど、天神さんには親近感が生まれつつある。そんななかでの、渡唐天神。

 ご近所さんは、もうひとりいた。鑑貞《瀟湘八景図画帖》。
 興福寺の僧による『多聞院日記』に障壁画を発注した記事があり、『本朝画史』では唐招提寺の律僧と記載されることから、奈良で活動した画僧とのこと。以前だったら、読み飛ばしていたかもしれない履歴。いまとなっては、ご近所で起こった出来事として受け止められる。
 これだけでも親しみが湧いてくるけれど、描く絵は素人みを感じさせ、にやりとさせられてしまう「ほっこり系」山水。素朴絵というほどではないにせよ、まあゆるい。あるいは比較的若描きなのかもしれないが、いい味を出している。
 モノクロながら、作品画像はこちらで拝見できる。収蔵の経緯も紹介され、おもしろい。(つづく


大和文華館の敷地に入る。短い急坂。この界隈は、アップダウンがある地形
曲がると見えてくる建物。このアプローチに、いつも感心させられる
吉田五十八設計、海鼠壁がモチーフの名建築



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