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信貴山縁起絵巻 特別公開「延喜加持の巻」:1 /朝護孫子寺

 米倉や米俵が空を飛ぶ場面でよく知られ、日本の絵巻物の最高峰のひとつとされる国宝《信貴山(しぎさん)縁起絵巻》(平安時代)。

 所蔵先である奈良県平群町の信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)では、毎年秋に全3巻を持ち回りで公開している。
 その拝観のため、奈良の西端・大阪に程近い山中まで、初めて行ってきた。

 法隆寺前からバスに乗り、王寺駅で乗り継いで山道を往く。なかなかの傾斜で、もう少し乗っていたら、酔ってしまうところだった。
 乗車前のしとしと雨は、信貴山に着く頃には土砂降りに。シャワーを浴びているような強雨で、みるみるうちに、足もとがびしょ濡れになっていった。

 石燈籠の参道を抜けると、体長6メートルほどある張り子の寅が出現。信貴山名物「世界一福寅」である。自動式の頭部が土砂降りのなかでゆっくり円を描いていくさまは、甚だシュール……

この感じからおわかりいただけるように、ひなびた風情の大和古寺というよりは、庶民派の大阪のお寺さんといった雰囲気が強い

 信貴山は「寅のお寺」。金運や学業成就がご利益のパワースポットとして、大阪や奈良の寅年生まれの人、さらには “虎党” の方々にも親しまれている。私事で恐縮ながら、寅年の端くれとしては、かねてよりぜひ訪ねてみたかったのだ。

 物部氏との決戦を控えた若き太子が、四天王(毘沙門天)に戦勝を祈願、みごと撃破し、ご加護の恩に報いるため寺を建立した……といったエピソードは、大阪の四天王寺をはじめとするいくつかの寺に伝わっている。
 信貴山朝護孫子寺では、太子が祈願し毘沙門天を感得した日が「寅年」「寅の日」「寅の刻」であったとされており、これが「寅のお寺」たるゆえん。

戦に赴く太子像。台座と像の時代・サイズが合っていない。こういうときはたいてい、戦時中の鉄材供出の名残であったりするが、これはどうだろう
「日本の国の平和を乱す朝敵物部守屋」!
なかなかに過激な説明板である

 ※1か月前に取り上げた天理の石上神宮は、物部氏の氏神。奈良盆地の東端にあり、西端の信貴山の真反対。「所変われば品変わる」とでもいえようか。


  「世界一福寅」が見上げる視線の先には、懸(かけ)造りの本堂がある。あすこまで、せっせと登っていかねば。

 一直線の急斜面ならまだしも、ジグザグの舗装路にお堂や祠、そして燈籠のひしめくなかを行くのだから、本来は楽ちんなのであろうが……この天候である。

階段が滝になっているのを見て、思わず爆笑してしまった
長い傘をさしていても、手足はずぶ濡れ。靴の中はガッポガッポいっていた

 たまらず駆け込んだのは、虚空蔵堂。
 虚空蔵菩薩は、寅年生まれの守り本尊である。必ずお参りしようと思っていた。
 信貴山に学業成就のご利益があるといわれるのは、虚空蔵菩薩が授けるという、無限の智慧と記憶力ゆえ。ボケないように、あやかりたい。下の写真は、虚空蔵堂の下から本堂を見上げたところ。

 懸造りの舞台から、雨にけぶる信貴の山々が見わたせた。晴れていれば、奈良盆地の眺望が存分に楽しめたことだろう。

 ご本尊・毘沙門天(御前立)にお詣り。お寺の方のお言葉に甘えて、雨宿りがてら長居させてもらったのち、地下の「戒壇巡り」へ。

 真っ暗闇をおそるおそる、壁にすがりついて歩いていたら、頭上から太鼓と読経の音が響いてきた。どうやら、内陣で御祈祷が始まったらしい。
 戒壇から戻り、促されるまま見学。怒号のごとく絶叫する、たいへん激しい祈祷であった。これはたしかに効きそうだ。

 本堂を出る頃には、小雨に切り替わっていた。なんなら、傘をささずとも歩けてしまうくらい。どうやら、雨足のいちばん強い時間に、狙いすましたように外を歩いていたようだ。

本堂の階段より、境内を望む


 ——豪雨のなか、やっとこさ登りきり、お詣りをして、ご祈祷が拝見できて、雨がやんで……もはや「やりきった」感すらあったのだが、今回の最大の目的は国宝《信貴山縁起絵巻》。お楽しみはこれからだ。
 いざ、本堂脇の霊宝館へ。(つづく

霊宝館


雨あがりの「世界一福寅」




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