神護寺 空海と真言密教のはじまり:3 /東京国立博物館
(承前)
全体の3分の2ほどを過ぎた段階で、じつは、仏像はまだあまり登場していなかった。文書に経典、仏画など、紙ものが中心だったのだ。冒頭にお大師さん(鎌倉時代・13世紀 神護寺 重文)がおわしたが、板彫の像であり、平面に近い。
終盤の残り3分の1をたっぷり使って、第5章「神護寺の彫刻」がいよいよ展開されていく。
国宝《五大虚空蔵菩薩坐像》(平安時代・9世紀 神護寺)。
現在の堂内では横並びに安置されているけれど、本展では法界虚空蔵菩薩を中尊、ほか4体を東西南北に放射状に配置、曼荼羅上の位置関係が立体的に再現されていた。すばらしい!
展示台を軸とした円形の空間をぐるっと周りながら、各像を拝見していった。
私事で恐縮ながら、虚空蔵菩薩は生まれた干支の守り本尊。京都の現地へ、改めてお詣りしたいなと思った。
続いて、奥まったスペースに《二天王立像》(平安時代・12世紀 神護寺)。
ここのみ撮影可能とあって、みな一様にスマホを向けていた。大物芸能人カップルの婚約会見に群がる記者たちのように、バシバシ撮影……誰も、お像をちゃんと観ていないのでは?とすら思われた。
わたしとて、ふだんから撮影可能の恩恵にあずかりまくっているわけで、同じ穴の狢には違いないけれど、この種の光景に出くわしてしまうと反骨精神がまさり、スマホをポケットに入れたままにしてしまう。
いまの時代、会場のどこかにこういった「ガス抜き」の撮影コーナーを入れないとSNSに不平不満を書かれてしまうし、なにより拡散してもらえなくなるだろうから、致し方はあるまい……
最後の大広間に、神護寺金堂の御本尊・国宝《薬師如来立像》(平安時代・8~9世紀)が鎮座。脇侍として、少し制作年代の下る《日光・月光菩薩立像》(平安時代・9世紀)を従える。
このお像が高雄の山を下りることじたい、今回が初めてだというから、たいへんなことだ。
わたしが高雄の神護寺にうかがったのは2011年の1回きりで、そのときに、金堂の内部でこのお像を拝観している。つまり今回が2度めの拝観となった。
静かに、こちら側を見下ろす薬師如来。金堂の薄暗い堂内に比べれば、東博の展示室は明るく、より明瞭に拝見できるけども、おいそれとは近寄りがたい、きわめて重厚な存在感はなんら変わりがない。
厄災や邪念なぞ、いともたやすくはねのけてくれそうな、厳めしい顔つき。衣文線の深い彫りやがっしりとした体躯、さらに手や腕の肉厚な造形も、表情によく呼応している。
一度観たら、忘れがたいお像である。
三尊の島を取り囲むように、江戸初期の四天王と、室町・近世の入り交じる十二神将をずらーっと展示。
薬師如来と同じく金堂内陣を飾っているお像で、発願者の半井瑞雪なる人物は、神護寺の前身・高雄山寺を創建した和気氏の末裔という。和気氏といえば清麻呂・広虫以後はほとんど名を聞かず、古代にいた有力豪族のイメージが強いけれど、近世初頭まで続いていたとは。
調べると、和気氏とその後裔・半井氏は、近世どころか大正期まで、代々の当主が医業に従事したとのこと。家業を医術とした由来は、神護寺の本尊・薬師如来の霊験に求められるという。
そういった点を意識したうえで、改めて本尊やその眷属たちを見わたすと、時代を超えて繋がれてきたバトンの重みが痛感されるのであった。
大きな余韻を感じつつ、会場を後にした。
——じつのところ、本展を観に行くか否かは、ちょっと迷っていた。
高雄曼荼羅は奈良博で6月に拝見したばかりであるし、神護寺では毎年5月頃に「虫払い」(いわゆる虫干し、曝涼)がおこなわれていて、紙ものの宝物の多くは、そのときにガラスケースなしで拝見できる。そもそも仏像というものは、お堂のなかで観るのがいちばんよい……などといった理由からである。
だが、こうして展示室で、じっくり細部まで鑑賞するのもまたよく、お堂のなかとは違った表情がみられる利点もある。なにより、展示室を出れば、現地を訪ねたい気持ちがさらに高まるのである。
秋口に高雄観楓としゃれこむもよし、GWの虫払いを狙うもよし。再訪したい場所が、また増えてしまった。