ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント:4 /東京都美術館
(承前)
■秘められた「強さ」 初期の油彩
初期のゴッホは、農夫の暮らし働く姿を、黒や土色といった色調で盛んに描いている。
これら初期の油彩は、地味といえば地味な代物には違いない。
が、だからといって「陰鬱な」絵と断ずるのは早計というものだ。
彼らは、気まぐれな自然に翻弄されながら、田畑を耕す毎日を淡々と繰り返してきた。
ゴッホは、そんな生活のなかで培われた彼らの体躯、肉付きや骨格、年輪のように刻まれたしわに、まずは造形上の興趣をそそられたであろう。ゴッホは骨相学の本を読むなど、人体の構造に興味があった。
同時に……というかそれ以上に、朴訥然とした表情の奥にある彼らの強さに、胸を打たれたのかもしれない。ここでいう「強さ」とは、文字通り地に足をつけて歩んでいる姿と言い換えてもよい。
《白い帽子を被った女の顔》のまっすぐな眼差しからは、とくにそういった、おおらかで芯の強い人物像が感じられる。
暗い色調の理由は、農村に光や緑や花が乏しかったからでも、ましてや農村の侘びしい暮らし向きを表そうとしたためでもなかろう。
このころのゴッホは、あるモチーフを際立たせるにあたって、その隣により暗い色を取り合わせる手法をとったという。ドラクロワの画論から影響を受けたゆえというが、このような絵づくりを徹底していくと、画面の明度・彩度はもちろん、どんどん下がっていく。
そういった事情を踏まえると、彼がほんとうに描きたかったものが見えてくるような気がする。
ゴッホは、モチーフを暗闇に埋没させようとしたのではなく、浮かび上がらせようとしたかったのである。
ゴッホが浮かび上がらせたかったもの……突き詰めていくとそれはやはり、先に触れたような、深い、深いところにある内面的な雄勁さではないか。
ゴッホの使う色彩は、このあと、パリに上京してから一変する。
そこから先が、われわれがよく知り、親しみ、愛して熱狂する「ゴッホの絵」ということになる。
後年のまばゆい色彩世界がちらつくほどに、初期の油彩が異質なものに見えてしまうのは無理もない。光が強いほど、影は濃くなる。
それでも、この黒や土色に秘められた「深さ」「雄渾」のことを思えば、初期の油彩もひと味違ったもの――もとい、後年の作品とは手法こそ違えど、目指すところは同質なものとして映ってこないだろうか。
ついでにいうと、ネガとポジほど違う色調の変貌ぶりは、初期作品のウェートを多くした本展の全体のバランスをよくし、効果的に引き締める効果をも生み出していると思われる。
これはおそらく、意識的に企図されたものだろう。(つづく)
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