ゆるりとめぐる、東博の総合文化展:1〈仏像篇〉 /東京国立博物館
東京都美術館「マティス展」のあと、毛色の違うものをさらに観たくなって、東京国立博物館へ。本館の総合文化展、平成館の考古展示をめぐった。
東博の本館では、各部屋が回廊式に連なっている。目的の部屋へたどり着くには、多くの場合、他の部屋を通過せねばならない。
観たかった特集「初期伊万里の粋—染付から初期色絵まで」の部屋は、入り口からいちばん遠い隅っこの位置である。
これをいいことに、回廊をすたすたと歩き、気になるものがあったら足を止める……贅沢な「つまみ食い」方式で、きょうは観ていくことにした。
最初は彫刻室、仏像の間である。
この部屋には毎回、東博の所蔵品に混じって寄託の作品が多い。今回もそうであった。
寄託は所蔵者にとって盗難や火災のリスクがなくせる選択肢であるし、館としては調査・研究、そして展示への活用が可能となる。双方にメリットがあることから、国立博物館ではとりわけ盛んにおこなわれてきた。
仏像には大きなものが多く、行き届いた管理がむずかしいせいか、寄託とされやすい傾向にあるようだ。
もともと祀られていたお堂が失われてしまい、仕舞われっぱなしといったケースもめずらしくない。寄託ならば、そういった作品も活かせる。
キャプションでは東京都の所蔵となっていた《四方四仏坐像》(江戸時代・寛永16年)は、上野・寛永寺の五重塔の内部に鎮座していたお像。
上野の山には、寛永寺も五重塔もいまだ健在である。
なのに、なぜこの仏像が東京都の所蔵になっているのかというと……五重塔は寛永寺の手を離れ、現在は東京都の所有物にして、上野動物園の一部となっているから。五重塔とともに、仏像もまた東京都に移されたのだ。
動物園では、象の世話はできても、仏像の世話はできない。だからいまはこうして塔を出て東博へ寄託され、ときおりこの部屋に姿を現すのだ。
——安らかな円満相の《薬師如来坐像》(平安時代・11世紀)。
このお像の所蔵先は、なんと綜合警備保障株式会社(ALSOK)とのこと。
いったいどんな経緯で、仏像を所蔵するに至ったのだろう……気になるところである。
一般企業が所蔵する美術品には、創業者ゆかりの品が多い。このお像も、そういったものかもしれない。
——秋篠寺の《十一面観音菩薩立像》(平安時代・9世紀 重文)、當麻寺(たいまでら)の《十一面観音菩薩立像》(平安時代・11世紀 重文)、同《吉祥天立像》(平安時代・11世紀 重文)といった、大和古寺からやってきたみほとけたちも。
なかでも當麻寺の《吉祥天立像》は、まことに麗しく、神秘的なお像であった。スッと引き込んで、したたかに離さない……そんな魅力がある。
※こちらのページに画像が出ている。當麻寺に戻ったのは、じつに66年ぶりだったとのこと。
——展示室で大和古寺のみほとけに向き合っていると、まるで奈良にいるような多幸感に包まれたのだった。上野に、奈良が立ち現れた。むしょうに、奈良に行きたくなった。
眼前のモノから具体的な場所のイメージが喚起される体験は、これに限らない。
作品のその先にある、さらなる体験への扉——それは、東博の展示品のなかに、いくらでも仕込まれているのだ。(つづく)
※上野動物園の五重塔に触れた記事