神護寺 空海と真言密教のはじまり:2 /東京国立博物館
(承前)
東博の「神護寺」展・後半分の展示は、平安貴族の信仰と美意識を反映した、きらびやかな祈りの造形からはじまった。
後期のみ出陳の平安仏画、「赤釈迦」こと《釈迦如来像》(平安時代・12世紀 神護寺 国宝)。
異名のとおり、衣の赤が印象的。衣文線に沿った白くみえる箇所には朱が入っており、透け感のある描写となっている。この赤によって、細緻きわまりない截金の金であったり、身体の肌色が映えるのだろう。
光背の唐草文様もこれまた細緻で、単眼鏡で拡大してみると、近江・神照寺伝来の華籠(平安時代・12世紀 国宝)の唐草にそっくり。時代や受容層は共通していそうだから、唐草の形姿が似ていたとしても不思議ではない。
神護寺伝来の紺紙金字一切経、いわゆる「神護寺経」や包装具の経帙も、もちろん出品。こちらは巷間に多く流出しており、各地で観られなくはないが、神護寺に残ったものはさすがにコンディションがよい。
院政期の文覚による神護寺復興は、弟子の上覚とその甥・明恵によって鎌倉期に引き継がれた。
このセクションでは、絵図の類を興味深く拝見。諸堂が建ち、改めて寺容が整えられた神護寺の伽藍図に、経済的基盤たる荘園の範囲を明確に記す荘園図。現地の地形を思い出し、重ねながら観ていった。
端々に描きこまれる山容や木々の絵画的な表現も、また見どころといえよう。
室町期の巨大な《高雄山神護寺伽藍図》(神護寺)には、室町水墨画を彷彿させる山水描写が取り入れられている。
おもしろいのは、秋の景になっていること。この頃にはすでに、高雄の地には紅葉の名所という認識があったようなのだ。
《紀伊国桛田庄絵図》(鎌倉時代・13世紀 神護寺 重文)は、なんと公式グッズにも採用。御朱印帳を入れるためのポーチと化していた。
ちょっとちょっと、いくらなんでもチョイスがシブすぎでしょう……と思っていたところ、どうやら神護寺御住職によるチョイスらしいとわかり、納得。
あまりのレア度につい欲しくなってしまったけれど、なんとか踏みとどまった。
「赤釈迦」とともに、後期展示への来場を決めたきっかけになった 《山水(せんずい)屛風》(鎌倉時代・13世紀 神護寺 国宝)。
現存最古のやまと絵屏風にして、平安貴族の邸内にしつらえられた調度を偲ばせる貴重な資料であるが、いわずもがな、描写そのものがきわめて美しく、また細かい。
作品からさほど離れてはいないのに、単眼鏡の助けがなければ、細部をきちんと捉えることはむずかしい。それほど細い筆を用いて、豆粒ほどの大きさで描かれ、しかし描写自体は鋭く的確になされている。
みやびななかに、どこか原風景的な懐かしさを漂わせる、すばらしい景物表現だ。
その次の部屋、壁を挟んで裏側にあたる位置にも、別の《山水屏風》が出ていた。
こちらは、冷泉為恭による幕末の模本。写しとはいえ、こちらもまあたいそうな出来で、見ごたえがある。
このセクションは「古典としての神護寺宝物」と題し、近世・近代の神護寺宝物の模写や板木による流布、文化財調査などに言及。東博所蔵の資料が多かった。
神護寺の国宝指定品で唯一、本展に出品されずにお留守番中の《梵鐘》(平安時代・貞観17年〈875〉)は、このセクションで銘文の拓本のみを展示している。
なお、この梵鐘、クッションとしてグッズ化されている。実際の梵鐘と同じ位置につまみがついていて、吊るせるのもよい(干すときに便利そうだ)。
こちらはご縁あって、ありがたく落掌。猫が蹴り蹴りするのにちょうどいいサイズだなと思いつつ、もったいなくて、まだ封を開けられていない。(つづく)
※巻いた状態の神護寺経を模したボールペンにも心惹かれたが、金銅の軸先に施された唐草の毛彫が省略されており、踏みとどまった。文様が入っていれば、購入するところだった。危ない危ない……