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あなたと、越えたい……『くらがりごえ』:1 南生駒の古寺巡礼

  仕事始め、最初の1週間をひいひい言いながら乗り越えた現在、お正月気分などすっかり抜けきってしまったけれど……今年の1月1日に筆者がなにをしていたのか、初詣はどこですませてきたのかを、記しておくとしたい。
 結論からいうと——暗峠(くらがりとうげ)を踏破し、奈良県から大阪府へ越境、東大阪市の枚岡(ひらおか)神社で初詣をして、近鉄で帰ってきた。

 枚岡神社は「元春日(もとかすが)」といわれ、春日大社にはその方角へ向けた遥拝所がある。それは、春日の本殿に祀られる4柱のうち天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめのかみ)が、枚岡神社から勧請された神々だからだ。
 本殿の4柱はいずれも別の土地からやってきた神々で、鹿島・香取にはもちろん参拝している。枚岡だけが未知の場所。
 かねてより行ってみたいと考えていたところ、元日・朝のNHKの番組で枚岡神社がちょうど映り、春日大社が三賀日を避けた分散参拝を呼びかけていたこともあって、「思い立ったが吉日」とばかりに奈良市内の自宅を飛び出した。

 件の番組は、大阪の市街地から伊勢大社を結ぶ「伊勢本街道」の紀行特番。

 伊勢本街道では、暗越えをして奈良盆地へと入る。暗峠の大阪側の入り口付近に枚岡神社があり、今回は反対側・奈良から枚岡神社をめざす。

 近鉄生駒線の一分(いちぶ)駅にて下車。峠越えの前に、生駒山麓の古寺をいくつか巡る算段である。
 まずは竹林寺。境内には竹林寺古墳、さらに奈良時代の行基、鎌倉時代の忍性という、ともに慈善活動に身を投じた名高い高僧の墳墓がある。ふたりの墓が同じ寺にあるのは偶然ではなく、忍性は行基に強く敬意を払い、範としていたようだ。

左手の斜面が、前方後円墳・竹林寺古墳の墳丘
緩やかな土盛りは、行基の墓。鎌倉時代、忍性の存命当時に発掘。奈良国立博物館に墓誌の残欠が所蔵されている
忍性墓の五輪塔。骨蔵器などの副葬品が発掘されており、その形状や埋納方法は行基墓のそれを模している。奈良にいると、行基や叡尊、その弟子である忍性の業績をそこかしこで耳目にする
後半生は拠点を鎌倉の極楽寺に置いた忍性。忍性墓のかたわらの小径は、どことなく鎌倉の切通しを思わせた
切通しを抜けると、生駒の山裾が見えた。これから越えようとする暗峠は、あのあたり

 生駒界隈には、行基が開いたとされる寺院が多い。竹林寺から徒歩10分、峠に差し掛かる手前にある円福寺もそのひとつ。

山を背負い、城のような石垣の上に立つ円福寺。集落を一望できた
本堂(室町時代・応安4年〈1371〉?  重文)。鎌倉期の建築という説明もみかけるが、いずれにしても、外観をみるかぎりは、近世に多く手が加わっていそうではある
鎌倉期のたいへんすばらしい宝篋印塔(重文)。彫りの深さ・鋭さ、緊張感と安定感のある凛としたかたち、摩耗の少なさ。一級品だ

 暗峠に入り、急坂の途中でも参拝。石仏寺という、すてきな名前のお寺である。
 ご本尊が石仏の阿弥陀如来像のためについた名前だが、お堂の扉が閉まっており、野外にあるもののみ拝見。

2メートル超の鎌倉期の五輪塔。こちらもたいへんよいものだ(ぎりぎりまで駐車)
中世の六字名号碑。いい字。拓本を採りたいなと思った

 いま確認すると、拝見できなかった堂内の石仏は、これまたたいへんすばらしい作行き。これはいつか、ぜひこの目で観てみたい……

 

 ——訪れたどのお寺にも、ふしぎなほど正月気分は漂っておらず、初詣の人混みに揉まれるよりもずっと穏やかな時間が過ごせたのであった。(つづく)
 

竹林寺の竹林

 

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