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あれから13年 ただの都会に感じられるようになったバンコク -第3章ー(1) 家出ハウス事件簿

13年前の僕が流れ着いたのは、バンコクの家出ハウス。
僕が半ばタイ人として歩み始めたのも、ここがスタート地点だった。

そんな家出ハウスで起きた、鬼気迫らない事件の数々で息抜き。

消えた100万円

100万円。
何か切りの良い数値で、はたかも一攫千金のような印象が持たれがちな、でも果たしてそうなんだろうか、気の毒な数値でもある。タイバーツにしたら(2020年7月現在)30万強なのに。

人によって価値観が異なるのは当然の事だが、彼にとっての100万円は、旅の行く末を決める手段の一つだった。

ある日、僕がいつも通り百戦連敗の面接を終え家出ハウスへ帰ると、蒼ざめてどどめ色になった顔の日本人の若者が軒先に座っていた。それとなく話を聞いてみると、バックパックを丸ごと盗まれて身動きが取れなくなってしまった大学生だった。

日本大使館に駆け込んでお金を借りたらしいのだが、日本の両親からの送金を待っている間、日本大使館から紹介された安宿が、この家出ハウスだったという。僕はこの時、日本大使館のスタッフがこの家出ハウスの存在を知っていた事、ひいては人へ紹介した事に対し、一抹の驚きを感じた。

彼は微々たるお金(しかも借金)しか持ち合わせていなかったので、近所の蒸し鶏のせごはん(カオマンガイ)屋さんに連れて行ってあげる事にした。100万円失う変わりに、こうして俺とおいしいカオマンガイが食べられたじゃないか…と言える雰囲気ではなかった。
バイトで貯めた現金100万円を手に、バンコクからスタートするはずだった夢の世界一周旅行。それが今や、不良外国人の溜まり場と化した家出ハウスで寝泊まりする事となり、仕事もない僕に飯をおごってもらわなければならない立場となってしまった彼が、何ともいたたまれなかった。
どうやらBIG Cでトイレに入った際、世界一周用の超縦長バックパックが邪魔になり、トイレの前に放置。大なり小なりの用を済ませ、スッキリした顔でトイレから出てみると、100万円入りのバックパックがそのまま持ち去られていたらしい。

「オレ、ツイいいてないっすヨ。」と、落ち込んだ顔でカオマンガイを頬張る彼だったが、BIG Cのトイレの前にカバンを置いて用を足しているようでは、かろうじてタイは乗り切っていたとしても、確実にインド辺りで仕留められていただろう。

シャワールームで滑ってサヨウナラ

みなさんご存知かもしれないが、タイは暑い。特に4月のソンクラーンの頃などは、熱中症になるような暑さで、日中歩いている人も少ない。

暑さしのぎの為、タイでは部屋の床がタイル張りになっている事が多い。トイレも水はけを良くするためにタイル張りになっているのだが、どうにもこうにも滑り易い。

ポールは初老の英国人で、タイには観光、半分夜遊びがてらで来ているような英国紳士だった。格好は、だらしないとは言わないけれど、南国のタイにいる間はサバーイサバーイなTシャツ(BANGKOKのバカでかいロゴと、象が描かれたヤツ)がお気に入りだった。

家出ハウスのシャワーが共同なのだが、ポールは独立シャワールームのある隣の高級ゲストハウス、ー1泊200バーツ に宿泊していた。僕等はよく顔を合わせたので、特別に仲が良かった訳じゃないけど、気軽に挨拶などを交わす仲だった。

そんなポールの姿を一週間もみる事がなかった。そして、とても暑い頃だったと記憶している。
ある日、会社に行こうとすると、隣りのゲストハウスから布に包まれた何かが担ぎ出されてきた。運んでいたのはポーテクトゥンと呼ばれるボランティアの救急隊員だった。その布を囲うように、宿で働くおばさん達が線香を手に祈り続けていた。サヨウナラ、ポールと。

バンコクには感電やマンホール落下等、サヨナラできるアトラクションが色々用意されているけれど、それが逆に 生きてる!って実感を与えてくれたりする事も多々あった。

部屋着でサルサパーティー

さや子さんがタニヤ通りの日系居酒屋で働き始めて、当然そこに来るのは日本人の顧客が多かったのだけれど、国際色と言う名のスカーフをまとった日本人と知り合って来る事も多かった。

ある日、さや子さんが興奮した面持ちで家出ハウスへ帰ってきた。
「みんな、聞いて!サルサパーティーに誘われたの!」
よくよく話を聞いてみると、どうやら今夜居酒屋のお客さんとして来ていた日本人女性の彼氏がスペイン人で、今週末スクンビット界隈で開かれるサルサパーティーにお呼ばれしたらしかった。
結論として「みんなで一緒に行こう!」と言う事になったのだけれど、誰も外行きの服なんか持っていなかったし、いつものサバ―サバーイな恰好でいいんじゃない?という話でまとまった。

つね子さんは、いつもより磨いたメガネに、教師然としたとしたロングスカートとブラウス、さや子さんは裾のほつれたGパンに、タイのおばーちゃんが良く着るノースリーブのよれよれシャツ。
男性陣はと言えば、太郎さんはいつものバスケのタンクトップに短パン、三角はブリーフの上にトランクスでめかし込んでいた。僕はと言えば、マッサージで良く履くフィッシャーマンパンツに、ピンクのスヌーピーTシャツで勝負に挑んだ。

パーティー会場へはタクシーで向かった。少しでも節約しようという恒子さんの意志に従い、歩道橋の反対側まで渡ってタクシーを拾った。
一体サルサパーティーとは何なのか?その方面には誰も知識がなく、期待を胸に会場へ到着してみると、華々しく着飾った多国籍の男女が、会場に流れるサルサに合わせて体を密着させ、激しく踊っていた。これが噂のサルサパーティーかー。よし、今日は派手に踊りまくってやる!
そう心に決めて会場に入ろうとしたのだが、ドレスコードに引っかかり、それどころか全員サンダル履きだった為、誰一人として舞踏会へ入場する事は許されなかった。

次回、気をつけようと思った。

オザケンとの遭遇

就職活動中、お金のなかった僕が楽しめる唯一の娯楽がYouTubeだった。
当時、バンコク中にインターネットカフェが溢れ、親や友達への連絡、履歴書の作成、人材派遣会社への登録、求人探しも、全てインターネットカフェで行っていた。1時間15バーツで格安だったし、そもそもパソコンを買うお金も無く、家出ハウスにゴキブリは飛んでいたがWifiは飛んでいなかった。

その日も所要を終え、余った時間は大好きな漫才のYoutubeを見て、爆笑を押し堪えながら見入っていた。その日は確か、2002年M-1の笑い飯の漫才を見ていた時だったと思う。

「もしもし、健二ですけど…もしもし~」

隣りの席からスカイプをする日本人の声が聞こえてきた。聞こえてきたと言っても盗み聞きした訳でもなく、長机にパソコンが一列に何台も雑然と置かれ、仕切りがある訳でもないので、嫌でも周りの声が聞こえて来てしまうのだった。そしてその日は、僕の横には小沢健二君が座っていた。

「小沢健二さんですよね?」と声を掛けるとビックリしていたけれど、明らかに小沢健二君だったから、他に掛ける言葉が見つからなかった。こんなバンコクの掃き溜めのようなネットカフェで、いきなり日本語で声を掛けられたのでビックリしたのだろう。もう少し気をきかせて、「木村拓哉さんですよね?」と言った方が良かったのかもしれない。
小沢健二君は、白馬に乗った王子様でもなければ、カローラⅡに乗ってバンコクに来た訳でもなく、普通の好青年だった。外で待っていたアメリカ人の奥さんも紹介してくれた。夫婦で世界旅行中との事だった。

僕もこれからバンコクを旅行する予定なんです、13年掛けて。とは言わなかったし、この時の僕は自分の未来なんて、明日の朝ごはんに何を食べるか考えるので精一杯だった。

気絶したオヤジ

家出ハウスの隣のゲストハウスは、掃除が隅々まで行き届いていて綺麗だった。部屋の隅々が羽虫の死骸やホコリで埋め尽くされた家出ハウスとは桁違いの美しさだった。 ーなぜか。住み込みで働く父と娘が、隅から隅までこまめに掃除し、植物の鉢などうまい具合に配置していたからだ。
家出ハウスの場合、掃除の際、部屋の隅がゴミ貯めになっているから、致し方ない。いまの僕から「塵取り」という発想を奪ってしまったのも、この家出ハウスに由来している。そしてゴキブリは、おばあちゃんが足で踏みつぶす足踏みスタイルだったが、このスタイルを踏襲する事は出来なかった。

ただそんな綺麗好きのオヤジは、アル中かヤク中のようで、視線はいつもどこか遠くの蒼い星の方へ飛んでいたし、会話が成立した事はなかった。ただ植物の鉢を並べたり、草の手入れをするのが器用だった。このゲストハウスには屋上もあって、そこはアル中オヤジの空中庭園 ーといった趣きで素晴らしかった。何度かオーナーの目を盗んで登らせてもらった事があったが、草に囲まれたバンコクの中層建築から望む下町の風景は、なかなかの居心地の良さを醸し出していた。

そんなある日の夜、家出ハウスの軒先に座って、いつもの馬鹿話をしながら飲んでいると、住み込み娘が「誰か助けてー!」と泣きながら僕たちの輪に駆け込んできた。娘の指さす方を見ると、隣りのゲストハウスの階下では、白目を剥いたオヤジが倒れていた。

僕は就職が決まったばかりで、社用車を所有しているのを娘は知っており、つまりこの完全に酔っ払った僕に、一番近い病院まで、救急車並みか、もしくはそれ以上のスピードで向かって!というのが、この娘のお願いだったのだ。

急いで車に乗り込み、みんながオヤジを担いで車の後部座席に投げ入れる。もちろん酔っ払い運転だが、そんな事を言っている場合ではない。車中でオヤジはうめき声を上げ、娘は泣きながらオヤジを介抱していた。

病院までの赤信号を全てて無視し、急患に着いて担架で運ばれるオヤジを見届け、緊張から未だに震えている手で当てもなくタバコを吸い続けていると、オヤジがなんとか助かった、との情報が入って来た。

これでどうやら来世も人間として生まれて来る事ができるレベルのタンブン(徳を積むこと)ができたかと思うと、嬉しかった。

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