ぼくの人生を変えた作家 その1 ジョン・スタインベック

みなさんは人生を変えてくれた作家っていますか?

突然ですが、みなさんには人生を変えてくれた作家っていますか?

ぼくはいます。究極的にいえば、それはこれまで読んだ小説をつくったひとすべてです。無意識までの影響も考えれば、すべての作家から影響を受けているといえます。

ですがここでは自覚のある部分だけを紹介しようと思います。ぼくの人生を方向づけた作家。最後まで読んでいただけるとうれしいです。


ぼくがどんな人間かを話そう

作家のことを話す前に、まずはぼくの幼少期について話さなければいけません。くわしく語ると長くなるので省きますが、あまり恵まれた環境で育つことはできませんでした。(ぼくの幼少期について語った動画があるので、くわしく知りたい方はこちら『自分語りその1』https://youtu.be/fOEqvamV1v0)

家族と言葉を交わすことも、学校でしゃべることもほとんどなかったため、大人になってからも、ぼくは言語化の苦手な男でした。自分の感情をどのように言葉にすればいいかわからない、自分の経験をどのように相手に伝えればいいかわからない。

言語化を試みはするのだけれど、それはとっ散らかったまま相手に提供されました。例えていうと、

「昨日の朝は目玉焼きをしょうゆをかけて食べて、その目玉焼きは自分でフライパンを使って焼いて、しょうゆは近所のスーパーで買って、ちょっとはしっこが焦げてて・・・・・・」

みたいな具合です。順番もめちゃくちゃ。狭い箱のなかにいくつも情報を詰め込む。自分でもなにいってるかわからない。

脳みそをかきむしりたくなるようなもどかしさを抱えながら、20年ほどを過ごしたわけです。


23歳のときに出会ったジョン・スタインベック

23のころから、東京で働くのをやめて旅をはじめました。全国各地で住み込みで働き、休日はよくその地域の図書館に立ち寄りました。

そして出会ったのが、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄(英題The grapes of wrath)』

それは運命的な出会いだったといまでも思います。彼の作品に出会っていなかったら、ぼくがこんなふうに文章を書けることもなかったかもしれません。


デカルトが示した四つの『方法』

ここでルネ・デカルトが示した四つの方法に寄り道をします。ぼくがスタインベックから得たことをわかりやすくするために必要なことです。

デカルトの『方法』とは簡単にいってしまうと、「物事の真理を探究するために、ある道筋に従ってことを進めるべきだという考え」のことをいいます。以下にデカルトの示した方法を、一般に『方法序説』と呼ばれる自然哲学論文の序文から引用します。

・第一に、いかなるものも、それが真であることを私が明証的にしるのでなければ、けっして真なるものとして受け入れないこと。つまり、即断や先入観を注意深く避けること。そして、疑いを持ちえないほど明晰判明に私の心に現れるものしか判断に含めないこと。

・第二に、検討する問題の各々を、できるだけ、しかもそれらをよりよく解決するのに必要なだけ、小さな部分に分割すること。

・第三に、最も単純で最も容易に知られる対象から始めて、少しずつ階段を上るように最も複雑なものの知識まで昇っていき、本性上互いに優先することのない対象の間にさえ順序を想定することによって、私の思考を順序に従って導くこと。

・最後に、なにも見落としていないと確信できるほど、完璧な枚挙と全体にわたる点検を、あらゆるところで行うこと。


二つ目と三つ目に注目してください。ぼくがスタインベックから学んだのは、この『細分化』と『順序立て』なのです。


スタインベックの文章

ここで先ほどぼくが書いたことを思い出していただきたいと思います。ぼくは情報をあまりにも詰め込みすぎようとしたために、言葉に詰まる傾向がありました。スタインベックの文章は明瞭で端的、そして違和感がないようにみえたのです。

以下、『怒りの葡萄』より

埃っぽい道を家に向かって走りながら、三人の男は黙ってガムを噛んでいた。アルはハンドルの上にかがみこんで、目は道路と計器盤とを交互に見ていた。小刻みに揺れる電流計の針を見つめ、油圧計と温度計を見やった。彼の頭は、車の欠点や、怪しげな点を見分けようとしていたのである。彼は後部でオイルがなくなったために起こるかもしれぬうなりに耳をすまし、それから上下するタペットの音に耳を傾けた。手をチェンジレバーに置いたまま、それを通してギヤの回転を感じとった。またブレーキを引いたままクラッチをゆるめては、クラッチ盤が噛み合うかどうかをたしかめてみた。彼は、ときには色気づいた若者であったかもしれないが、しかし、この仕事、このトラックを走らせ管理することは彼の責任なのだ。もし、なにか故障でもあれば、それは彼の失策である。そして、だれも、なんともいわなくても、だれもが、そしてアルがいちばんよく、それはアルの責任だと考えるに決まっているのだ。


このような具合にスタインベックの文章はつづいていきます。どうです? とてもシンプルに見えませんか?

実際はそこまで単純でも飾り気がないわけでもありませんが、とにかくぼくにはそう見えたわけです。
ああ、こんな方法でもいいのか! と目の覚める思いをしました。


マネをすることで少しずつよくなっていった

ぼくは大人からなにかを教えられたことは一度もありません。彼らの言葉はぼくには響いてきませんでしたから。

だからいつだって、自分で学ぶ必要があったわけです。

さっそく、ぼくはスタインベックの手法をマネすることにしました。シンプルに、そして端的に。それらを繋ぎあわせて、新たなものをつくる。たとえぼくにできるのが小さな点を穿つことだけだとしても、隣あった点はやがて線となり、集まった線はやがて流麗な絵となるのです。

「昨日、朝にぼくは目玉焼きを食べた。白身の凹んだ部分にしょうゆを数滴たらした。ついでにウィンナーも食べた。白いごはんといっしょに食べたらお腹いっぱいになった。それでも満足のいく食事だった」


不恰好でも不器用でも、辛抱強く繋ぎあわせていけば、そこには物語ができあがるのです。こうしてぼくは言語化の方法を学びました。相変わらずしゃべるのは苦手ですが、相手とインタラクティブな関係を築く手法は手に入れたわけです。それまでは相手からぼくへの一方通行でしたから。ようやくぼくは人間になることができました。


以上でぼくの人生を変えた作家の紹介を終えます。ほかにもたくさんいるので、機会があればまた紹介します。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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