人生初の墓参り
昨年、秋の彼岸の真っ只中に、私は布教の旅へ出ました。総本山知恩院布教師会の副会長からの依頼があり、滋賀の寺で法話を語ることになったのです。ただ彼岸中に寺を離れることは、住職としての私にとっては罪悪感を伴うこと、任務とはいえ心を咎めなかったわけではありません。
しかし、思い悩む中、ふとした閃きが私の心を照らしました。この出張を利用して、何か意義深いことができないだろうかと。「そうだ、私の祖先の地、近江安土への墓参りをしよう。私の先祖であり、6代前の住職である井上松運上人は、明治時代に近江からこの地に赴任し、以来、私の家族は宇都宮に根付いたのだ。彼岸中に留守にする私の贖罪として、本家への墓参りがふさわしい、と。」
レンタカーを借り、私は歴史ある近江安土へと車を走らせました。旧中山道沿いの集落に「井上」と書かれた表札が目に飛び込んできました。電話での事前のやり取りがあったとはいえ、本家を訪ねるときの私の顔は、緊張で張りつめていたことでしょう。
本家の敷居をまたぐと、私はまず先祖が祀られている仏壇に向かい、深く頭を垂れました。手を合わせ、心からのお念仏を唱えながら、かつて滋賀から遠く離れた光琳寺へ赴任した松運師を思い浮かべました。その静寂の中、私は祖先への敬愛と、彼岸の中日に訪れることができた喜びを感じたのです。
その後、井上家の現当主、源三郎氏とその奥様、ご長男と共に歓談の時を過ごしました。彼らから聞かされる家族の話は、私にとって未知のものでありながら、どこか心の奥底で響く懐かしさを感じさせました。家族の思い出、そして、それぞれの世代が経験した時代の変遷。特に心を打ったのは、松運上人から送られた古い手紙や写真の数々でした。黄ばんだ紙の上に流れる筆跡、それぞれの写真に映し出された先祖たちの顔。名前だけは耳にしていたが、その実像に初めて触れる瞬間は、時間を超えた感動とも言えるものでした。その一枚一枚の写真からは、過去の断片が語りかけてくるようでした。
一時間ほどの心温まる滞在の後、源三郎氏は私を先祖の墓へと案内してくれました。本家から車でほんの数分、穏やかな田園風景を抜けると、そこには静かな墓地が広がっていました。時刻は午後6時、夕陽が遠く比叡山の裾に沈むような時でした。彼岸の中日に、まさに極楽浄土を示す日没の瞬間に、私は初めて先祖の墓の前に立ったのです。
その墓石の前に立ち、深く頭を垂れると、私の心は祖先への感謝と尊敬の念でいっぱいになりました。私の命の中には、先祖たちの多くの命が流れており、その連綿と続く命を受け継ぎ、今ここに立っている。この瞬間は、まるで時の流れが一瞬にして結びついたような、特別な感覚に包まれました。
私は静かに祈りを捧げ、先祖たちに感謝し、彼らの命が今の私に繋がっていることを心から感謝しました。そして、この瞬間が、私と祖先との縁が新たに結ばれた貴重な時であることを、深く実感しました。
夕陽がゆっくりと比叡に沈む中、私は先祖の墓を後にしました。寺の住職として、いや一人の人間として大きな体験したこの訪問は、私の人生にとって忘れられない、意味深い一日となりました。