靴を揃えるのは何のため?
自然にできる人にとっては
大人の常識
なのかもしれませんが
私は心が
緩んでいるとできません…
こんにちは
相手も自分も
心がきらりとなる気配りを
tenkoです
心得ていればできること
人はちょっとした時に
その人の人柄が出ると言われます
意識しているときは
大人は結構
できるのです
一般常識とされるようなこと
全般
靴を脱ぐのも
よその家を訪ねた時とかは
できるのです
正式なとか
ちゃんとした正解
と言われる流れまでは
できなくても
靴を揃えて脱ぐことぐらいは
できるのです
多分あなたも
私も
それは多分
人の目を気にしたから
人の目を気にしてやるのは
どうかという人も
いるかもしれませんが
人の目があってもできない人もいるので
十分素晴らしいことだと思います
気を抜かなければできるのに…
でも
これが
気を抜いたところでやり続けるのは
難しい
「人の目」という基準で
靴を脱いでいると
家に帰ってきた時
実家に行った時
ちょっと何かを取りに帰った時
そういう時まで
気をむけ続けるのは難しい
というか
気を抜いてよし!
と心のどこかで思っていて
靴の足先は
ドアの方を向いていない
または
とてつもなく気分がいい時には
なんだか揃えてみるか!
という気持ちになるので
なんの気なく揃えたりするけれど
でもそんな日は
時々しかやってこないもの
靴を脱ぐかのように靴を揃える
家に帰ったら
靴を脱ぐ
当たり前に
靴を脱ぐ
だいぶ小さいうちから
靴を脱ぐことはできる
けれど
靴を脱いだ後
靴を揃えるまでできる人は
どのくらいいるのだろう?
結構みなさん当たり前にできるのかな?
もしかして
大人になっても
いつでもどこでもできないのは
私だけ?
きっと
できない人も結構いるはず
というていで
話を進めてしまいますが
やっぱり
靴を脱ぐかのように
靴を揃えられる
いつでもどこでも
靴を揃えられる人の方が
いいんじゃないかと思います
そうなんですけど
じゃあ
なんでできないか?
ちゃんとしたほうが
気持ちがいいでしょ?と
言われそうですが
普段
それほど気持ちよさを
意識していないので
それでは忘れてしまうのです
「あ〜、帰ってきた〜!」
の安堵感に負けてしまうのです
「あ〜お腹すいた〜!」
次の予定に負けてしまうのです
この調子で行くと
これまで通り
日替わり定食のように
その日の気分次第で
靴を揃えてみたり
揃えられなかったり
靴を脱ぐかのように
靴を揃えることは
私には無理なのでしょうか?
そして閃いた!
最近私は
自分の気持ちや心を大切にする
ということを知りました
そして
自分がやりたいとか
気持ちいいとか
自分が喜ぶことを
優先してみようと取り組んでいます
これも
ともすると忘れがちですが
自分を大切に扱ってあげるのは
いいものです
自分のためだけに
自分の好きな香りの
紅茶の葉を購入して
ゆっくり
蒸らしてカップに注いで
そして
「美味しい〜」と飲む
とか
あ〜今日は頑張ったから
奮発して
お気に入りのケーキ屋さんに行って
心が躍るケーキを選んで食べよう
とか
自分を喜ばす
ちょっと前までは
自分を甘やかすなんて
癖になったら大変だ!
と心のどこかで
罪悪感を抱いていましたが
やってみたら
心地よくて気分がいいので
またやろうという気になりますね
自分を大事にする
いい気分極まりない
そうか!
自分を喜ばすために
明日の自分を喜ばすためなら
もしかしたらできるかも❣️
靴を脱ぐときに
明日の自分を大事にするために
揃えてみよう
ということで
今から玄関に行って
明日の自分が気持ちよく出発するために
靴を揃えてきます
さあ
どこまで続くか
乞うご期待❣️
【おわりに】
最後までお読みいただき
ありがとうございます
私
人とのコミュニケーションが
上手になったら
日常生活が
円滑に進むんじゃなかろうか?と思って
学びに行ったんですね
そうしたら
コミュニケーションの技術だけでは
足りないんだっていうことを
知ったんです
自分自身の心のあり方とか
考え方とか価値観とか
日常の自分自身に目を向けるとか
日常の自分自身のものの見方を
変えるとか
そういうことを
身につけないと
コミュニケーションって
より良くならないんだって
知ったんです
今までの自分を否定することじゃなく
新しい自分に変身するのでもなく
考え方を知ること
ものの見方を知ること
そういうことで
日常の自分自身が少しずつ変わって
相手とのコミュニケーションも
変わっていくんだということを学びました
そういう
自分自身の心を大切にしながら
コミュニケーションも
変えてみたいな
技術だけではない
学びをしてみたいなと
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