自由とわがまま

自由とわがままを履き違えない。

当たり前の事だけど、

ここらへんが子供も親も教員も、

それぞれの認識でズレが生じるところ。

好きなことをしていい。

だけど周りに迷惑をかけちゃいけない。

ここの認識って、

日本人なら当たり前に持っていた感覚だと思う。

だけどいつからか。

権利の主張ばかりが始り、

義務を果たさない人たちも増えてきた。

権利を主張するのもいいのだけど、

元々日本人は奥ゆかしかったから、

そっちの概念の方が薄かったような気がする。

滅私奉公なんて言葉があるくらいに

みんなのためになるように

働いたものなのだ。

これは主人やお国のために働くことではない。

もっと大きなことだ。

自然と日本人は、共同体の中での自分の役割が、

そこではみんなのタメになることを

知っていたんだと思う。

だから権利とか自由とかやるべきこととか、

あえて言葉にして言わなくても

お互いに感じ取っていたような気がする。

それがいつしかからか、

新しい概念として言葉だけが浸透していき、

深く意味を考えることなく一般的に使われるように成った。

あまり考えていない人ほど、権利や自由を楯にしているところもある。

そうではない。

今の自由はわがままと捉えられるようだが、

自由は好き放題ではない。

好き勝手やってるのは

自分や他人、環境に縛られている証拠。

逆らうからあちこちぶつかる。

好き放題は「我」がまま。

「我」を落とした時に出てくるのが

真の自由だと思う。その「まま」になるw

ようするに自然の摂理や流れに逆らわないことになる。

そこに至ると抵抗するところがなくなるから

まさしく自由自在となる。

そこまで行ける教育であったら面白い。

そうなると自分の役目や使命も出てくるね。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?