土地と土地
お疲れ様です
先日は梅田Zeelaでライブをやらせてもらった
相変わらずのハコクオリティで、バンドマンとしては数年ぶりにお邪魔したにも関わらずマジ良い意味で何も変わっておらず、居心地は良いわスタッフも良いわで、ミシュランにでも載る気なんかなと思ったりした
このブログでもちょいちょい言うてるけど、私は本籍地が大阪のクセに大阪が(っていうか梅田が)嫌いという特殊性癖を持ってるねんけど、梅田駅からほど近い場所にあるライブハウスに通い続けたいと思うようになるとは、ホンマに夢にも思って無かった
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ビジネスにおいて立地っていうのは凄い大切な物やと思うねんけど、それと同等かそれ以上に人も大事やと言われてる
どんなに立地が良かったり大人気商品があったとしても、現場スタッフの接客態度や衛生観念により1発で終了する店舗を、ここ数年SNSを通じて腐るほど見て来た
逆に、立地が多少悪くても人柄や商品に惹かれて通い詰める事もあり得る
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私は、周囲にいる気合いの入ってたバンドたちに比べると、これまでのバンド人生でそんなにたくさん色々な土地のライブハウスを回ったわけではない
多分やけど近畿2府4県で合わせて20店舗くらい
それ以外の全都道府県に至っては、全て合わせても10店舗くらいやと思う
つまり人生で自分が演奏したライブハウスは、30~50店舗の間に収まってしまう
そんな中でも印象に残ってるライブハウスは、やっぱり人が中心にあり、その人を栞のようにして数々の想い出を記憶から引っ張り出すことが出来る
良い事も、悪い事も全てそういうシステムになってる
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私が梅田Zeelaや浅草GoldSoundsに行ったときに、人一倍嬉しい気持ちになれるのは、きっと個人的な心のうちにある何かが反応してるだけなんやと思う
例えば、もとから知り合いの方がライブハウスを始めたとか、仲良いやつがそのライブハウスのスタッフでしたとか、初めてそこでライブをした時にめちゃくちゃスタッフが気に入ってくれましたとか、何かしらがある
いろんな要因が絡み合って、自分が「このライブハウスが好きや!」と思っていても、一方で全然違う要因が絡み合った人もいて「私はこっちのライブハウスの方が好きやな~」というパターンも絶対にある
それを「なにくそ」と思うでもなく、自分の人生において、この人達としっかりと向き合いたい、と思えるライブハウスと出会えた事を素直に喜びたい
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大昔、群馬県に「大車輪」というバンドがおった
大車輪と出会った当時、自分は高校生で、地元の先輩(20代くらいの人)とか、自分の実の兄とかと一緒にバンドを組んでいた
大車輪はTHE NINTH APPOLOからアルバムをリリースしてた気がする
今の時代に「ナインスアポロ」って聞いたら、マイヘアとか、さよならポエポエとかが浮かぶけど、大車輪はクソゴリゴリのミクスチャーで、メンバーにスキンヘッドはおるわ筋肉ムキムキのギターはおるわでちょっとイカついバンドやったんやな
筋肉ムキムキギターの俊平さんという方は、なんかちょっと怖い感じの雰囲気もあるねんけど、何よりめちゃくちゃ優しかった(あと確か酒がめちゃくちゃ強かった)
ギターも多分テレキャス使ってたんかな?シングルコイル特有のバチバチ感がある、飽和量いっぱいいっぱいのタイトな音が鳴っていた記憶がうっすらとある
そしてその俊平さんは、膝膝に再会した時と、別れ際によく握手をしてくれた
しかも変な握手やった
まず普通に向かい合ってオーソドックスな握手をして、そこからお互いの親指と人差し指の付け根を中心にくっつけたまま手を上に持っていき腕相撲のフォーメーションになる
そこまではまぁよくあるねんけど、そこからグッと相手の手を握りこみつつ指パッチンをするというね
俊平さんの手はかなりでかくて、私の手はかなり小さい
握手している状態で指パッチンが鳴るのは、相手より手がデカい事が条件やから、いつも私の指パッチンはショボく鳴ってた記憶がある
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時は流れ私はバンドを脱退し、大車輪も休止していた
当時私は高校生で、年齢的にも精神的にも肉体的にも、全てにおいて子供やった
そんな子供に対して俊平さんは、対等な目線で話をしてくれていたのかどうか、今となっては分からん
なんやったら私は俊平さんの名前くらいしかまともに知らん
しかしあの変な握手だけは何年経っても自分の中に存在して、なんならたまに自分もやっている
そして俊平さんが、今もどこかで元気に生きているのであれば、きっと誰かとあの変な握手をしてるんやろうな、と思う
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友達や先輩後輩が、いつ亡くなっても不思議じゃないような年齢になってきた
亡くなった人とは二度と会えない事が確定する
しかし、今現在元気かどうかすら分からんくらい疎遠な関係になっていたら、その人が亡くなったかどうかも知る由も無い
風の噂で「あの方、亡くなられたらしいよ」と聞いても、それはあくまで噂であって、確定ではない
つまり自分が、その亡くなった方の仏前に出向いて手を合わせ、「あぁ、本当に亡くなったんやな」と思うまでは、その人はまだ生きていると言えるのではないか?
シュレーディンガーの猫みたいやな、と不謹慎な事を考えてしまったのであった(ただの屁理屈とも言う)
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てなわけで、なんかエモいブログになってしもうた
別に何があったというわけでもない
ただただ昨日買った卵が自分の間違えた運搬方法(チャリの前カゴに突っ込んででこぼこ道を走った)によりほとんど割れたのが、私の心に黒い影を落としたんや
今日もお仕事頑張りましょ〜
ほなお疲れ~