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魅惑の地サイダー

炭酸飲料の季節がやってきました。「タンサン」と兵庫とのゆかりは深く、大手の生産拠点があるほか、小規模の製造元も健在です。播州人3号が「地サイダー」や「ご当地サイダー」と呼ばれる兵庫ゆかりのブランドを紹介します。

まずは老舗の商品から。「ひょうごのロングセラー」というシリーズで取り上げられていました。

ダイヤモンドレモン―布引礦泉所
爽やかさ愛され1世紀

 気温が上がると、炭酸飲料が無性に飲みたくなる。喉にくる刺激とその後の余韻がいい。無糖もよし、甘いサイダーもよし。
 兵庫は有名炭酸飲料の発祥の地。川西・平野の三ツ矢サイダー、西宮・生瀬のウィルキンソンの二大ブランドに匹敵する歴史を持つのが布引礦泉(こうせん)所だ。
 歴史は古い。川崎造船所(現川崎重工業)の創業者・川崎正蔵が1899(明治32)年、今のJR新神戸駅近くで創業した。初代社長は川崎家に仕え、川崎造船所専務を務めた石井清。六甲山麓の布引から噴出する天然炭酸水をもとに清涼飲料水に仕上げた。
 商品は「ヌノビキ・タンサン」で始まり、1914(大正3)年、横浜工場を設ける際に「ダイヤモンドレモン」を出した。布引の水に高純度の砂糖、レモン香料。昭和初期の会社案内には「弊社が着色飲料水を排斥して高尚清新なるものを提供せんとし…」とある。その気概がうかがえる。
 今年で発売から100年。「基本のレシピは変わりません」と4代目社長。今も新神戸駅近くで取水し、西宮の本社工場に運ぶ。工場のラインではガス混合機で二酸化炭素を浸透させる。南米産ガラナの実のエキスを使った「ダイヤモンドガラナ」も美味だ。

(2014年5月14日朝刊より)

現商品名での発売は、第1次世界大戦開戦の年です。
これまでにどれぐらいの人が味わったのでしょうか。想像もつきません。

記事中にもありますが、兵庫にルーツを持つブランドには、さらなる歴史を持つものもあります。
同じ「ひょうごのロングセラー」からです。

三ツ矢サイダー アサヒ飲料
ルーツは川西の名水

 すっきりとしたのどごしが世代を超えて愛され続けている。明治期に兵庫県で生まれ、現在も県内で生産されているアサヒ飲料(東京)の看板商品「三ツ矢サイダー」。2010年で生誕127年目のロングセラー商品だ。
 ルーツは川西市平野。宮内省(当時)が英国の理学者に名水を調査させたところ、同地域にわいていた炭酸性の源泉を「理想的な飲料鉱泉」と称賛。合資会社が1884(明治17)年、地域の豪族の姓「三ツ矢」を冠して「三ツ矢印平野(ひらの)水」として発売した。
 1909年に売り出した「三ツ矢シャンペンサイダー」が大好評に。その後、三ツ矢サイダーと名をかえた。昭和初期から西宮市でも製造されたが、今は明石で生産されている。
 04年のブランド生誕120年を機に味をリニューアル。安全志向に対応して、味や香りの原料を果実や植物由来の素材に切り替えた。昨年5月には、40代以上をターゲットにカロリー、糖質、保存料を「ゼロ」にした「三ツ矢サイダーオールゼロ」を発売。健康志向の男性を中心に大ヒットし、20代~30代にも広がった。
 異なる味の関連商品を含めた売り上げは、09年まで6年連続で増加。現在は9月に発売したリンゴ味など7種類を展開。担当者は「兵庫はアサヒ飲料の西の拠点。これからも末永く愛される商品にしていきたい」としている。

(2010年11月9日付朝刊より)

サイダーの製造元には「鉱(礦)泉所」が付くものがかなりあります。
記事にある「鉱泉」にちなんでいるのでしょうか。
炭酸水をさらに深掘りした記事もありました。

炭酸水 「清冽なる水」偶然の発見
ウィルキンソン、三ツ矢…断層に源流

 「ウィルキンソンのストーリー性は『マッサン』にも負けない」。宝塚市の郷土史家、鈴木博さん(65)はそう信じている。
 マッサンといえば、「ニッカウヰスキー」を題材としたNHK朝の連続テレビ小説。ウィルキンソンは、英国人クリフォード・ウィルキンソン(1852~1923年)が手掛けた炭酸水だ。
 クリフォードは、1880(明治13)年ごろ、神戸で暮らし始めたとみられる。ハンター商会などに勤める傍ら、趣味の狩りにいそしみ、89(同22)年前後に宝塚の山中で炭酸の泉源を発見した。
 経緯を明かした晩年のインタビュー記事が、1920(大正9)年1月30日付の神戸新聞に載っている。
 「山中を歩き、喉が渇いてたまらなくなった。だが、持ってきたウイスキーを付き人が飲んでしまっている。仕方なく水を求めて谷あいをあちこち探した結果、図らずも源泉地にたどり着いた」
 泉源を見つけたのは偶然だった。主人の分まで飲み干すずうずうしい付き人がいなければ、そのまま下山し、現在の強炭酸ブームの様相は一変していたかもしれない。
 クリフォードはこの「清冽(せいれつ)なる水」を瓶詰めし、商売を始めた。「日本人向けというより、炭酸水が一般的だった居留地や東南アジアの欧米人向けだった」と鈴木さん。その後、塩瀬村生瀬(現西宮市)に製造工場を移し、クリフォードの死後は長女が販路を広げていったという。        

 緑と白のラベルに、おなじみのロゴマーク。名称が平安期の伝承に由来する「三ツ矢サイダー」の源流も兵庫にある。
 ウィルキンソンとともに銘柄を引き継いだアサヒ飲料(東京)によると、明治期に川西市の泉源で生産が始まったとされる。有馬(神戸市北区)でも、温泉街周辺に湧く炭酸水が、明治―大正期にかけて独自ブランドとして商品化された。
 神戸・阪神間に炭酸の泉源が集まる理由を、京都大理学部の川本竜彦助教(54)=地球惑星科学=は「有馬―高槻断層帯」にあるとみる。二酸化炭素を含む海水が地中で徐々に上昇し、水の通り道となる断層に沿って周辺に拡大。地表から数キロの地点で塩水と分かれ、地下水に混じって泉源となった、という分析だ。
 実際には、人工的に炭酸水を製造する技術の普及によって、各メーカーは工場での機械生産に転じていく。昭和期になると、日本各地に小規模な鉱泉所ができ、ローカルブランドが次々に生まれた。

兵庫鉱泉所

 養老サイダー、ヒノデサイダー、日の丸サイダー、キンヤサイダー…。52(昭和27)年創業の「兵庫鉱泉所」(神戸市長田区)には、さまざまな銘柄が印字された瓶ケースが山積みにされている。廃業や縮小した鉱泉所から譲り受けたものだ。
 その中には、姫路のミツワや尼崎のツバメなど、県内のブランドもある。どれも、かつては地元の駄菓子屋や銭湯などで住民に愛され、そして先細りになっていった。
 兵庫鉱泉所の代表者、秋田健次さん(61)が言う。「日本の主要ブランドに押されたというより、海外メーカーの進出が大きかった。瓶から缶への移り変わりにも、小さな鉱泉所では対応できなかった」
 兵庫鉱泉所のオリジナル「シャンペンサイダー」の生産量も、最盛期の3割程度に落ち込み、主力商品の座を他の飲料に譲る。だが、昭和期に点在した各地の鉱泉所によって炭酸文化が根付いたからこそ、2000年代以降の地サイダーブームがある、と秋田さんは考える。

 昨春、ウィルキンソンの調査を続ける宝塚の鈴木さん宅に英国から国際郵便が届いた。たどたどしい墨書の平仮名が並ぶ。インターネットを通じて知り合ったクリフォードのひ孫、レズリィさんからだった。
 戦後、一族は事業を譲渡し、日本を離れた。宝塚や生瀬の工場は今や跡形もなく、ゆかりをたどるのが難しい。その一方で、レズリィさんは書道をたしなむなど、今もルーツを大切にしている。手紙には、1首の和歌が添えられていた。
 「わがにわの かむりとなりて やえざくら ちりてのちには もゝいろのうみ」
 喉とともに、心も清冽に潤すような、炭酸水の今昔。

(2018年7月29日付朝刊より)

地酒や地ビールなどと並んで、サイダーも「地物」が注目され、新商品も登場しています。

ご当地サイダー復活
20年ぶり懐かしの味
メーカー ラベルに姫路城

 清涼飲料のご当地サイダーがブームになる中、姫路市香寺町犬飼の飲料メーカー「キンキサイン」が、「姫路城サイダー」の名称で、約20年ぶりにご当地サイダーを復活させた。同社に残っていたレシピを基に、炭酸控えめの現代風の味にアレンジ。懐かしく、さわやかな甘さが口に広がる。
 同社は1976年の創業時、「サインサイダー」として販売。地域住民に親しまれていたが、20年ほど前、飲料商品は缶入りが主流となり、輸送コストがかさむガラス瓶のサイダーは製造を中止した。
 同社は、今年4月の播磨の食イベント「ひめじぐるめらんど」に出品するため、商品復活を検討。かつての製造現場を知る従業員がいなかったため、古いレシピを頼りに味を再現した。商品名を「姫路城サイダー」と改め、城の写真をあしらったラベルは1本ずつ手作業で張った。
 近年のご当地サイダー人気の影響を受け、食イベントでは、3日間で約1200本が完売。観光客らに好評だったほか、地元の中高年は「サイン(キンキサイン)の味や」と当時を懐かしんでいたという。
 同社生産企画担当は「昭和ブームもあり、多くの人に受け入れられている。夏に向かって暑くなるので、懐かしい味でのどを潤して」とPRしている。

(2009年6月4日付朝刊より)

ペットボトルや缶もありますが、サイダーと言えば、あのずっしりとしたガラスの瓶のイメージです。
容器にも当然、物語があります。

ジュース瓶 再利用続け長田の味守る

震災瓶

 〝昭和〟を感じさせる、王冠で栓をするタイプのジュース瓶。緑色のラムネ瓶も今や珍しい。銘柄のラベルはどれも薄くなったり擦り切れたり。25年以上使用された風格が漂う。
 阪神・淡路大震災により被害を受けた神戸市長田区の清涼飲料水メーカー、兵庫鉱泉所。震災時、すでに廃業していた同業者仲間から、各社の瓶を受け継いで使っていた。
 地震のとき「倉庫の瓶は互いを支え合うように傾いて、割れなかったんや」と秋田健次代表。現在使う約3万本のうち、3分の1が震災を乗り越えたものだ。
 地元の駄菓子屋や銭湯、飲食店の多くが震災を機に店を閉じ、売り上げは激減した。それでも地域の子どもたちのためにラムネやサイダーなどを製造し続ける。
 再利用される瓶の回収率は9割以上。秋田代表は「戻ってくるのが当たり前やと思ってる」と笑顔で話す。そして、地元で愛されてきた味を、これからも作り続ける。

(2020年1月8日夕刊より)

一方で、残念ながら姿を消した商品もあります。

また消える〝地サイダー〟赤穂

ヨットサイダー

 かつて、その地域でしか飲めな い“地サイダー”が全国各地にあった。銭湯や駄菓子屋の減少でほとんど姿を消したが、個性的な味わいや瓶のレトロな趣が、ひそかなブームとなっている。
 「赤穂にも、『ヨットサイダー』がある」。そんな話を聞いて訪れたのが、浮船鉱泉所(赤穂市中広)。社長(73)によると、祖父の代からサイダーやラムネをつくってきた。
 だが、残念なことに先ごろ製造をやめた。在庫がなくなり次第、店を畳むそうだ。「いまは缶やペットボトルの時代だからねえ」と社長。
 一本買って、飲んだ。懐かしさとともに、ほろ苦さが、心にじわり。

(2007年6月19日付朝刊より)

キンキンに冷えたサイダーの写真です。
製造をやめたと聞くと、余計に味わいたくなりませんか。

サイダーの話題を紹介しましたが、同じ炭酸飲料のラムネの記事も多く見つかりました。こちらも兵庫に製造元が多くあります。

<播州人3号>

ハトヤラベル

1997年入社。子どものころによく飲んだのが「ハト矢サイダー」です。「三ツ矢」と並ぶ全国ブランドだ、と長く信じていましたが、ご当地サイダーの一つでした。20年以上前、古い電話帳を頼りに鉱泉所を尋ねると、製造は既に中止。記念にもらったのが、上のラベルと王冠です。ハトに矢のデザイン―。改めて見ると不思議なマークですが、少年時代を播州で過ごした中高年には懐かしの飲み物です。

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