播州人3号です。30年ほど前、国から自治体に一律1億円が託される「ふるさと創生事業」が世間を賑わせました。基金(貯金)などに回す市町が多い中で、淡路島の津名町(現淡路市)が選んだのは「1億円の金塊」展示でした。奇抜なアイデアと受けとめられたようですが、展示施設にはその後370万人以上もの観光客らが訪れました。展示は終了し、金塊は、住民が毎日目にするものに変わり、今も輝いています。
1988~89年、当時の竹下登内閣が地域主体の振興策を後押しするため、地方交付税が交付される全市町・道府県に一律1億円を配分しました。
使い道はそれぞれに任せられたため「バラマキ」という批判の声も上がりました。
正式名称は「自ら考え自ら行う地域づくり事業」。日本一長い滑り台(兵庫県佐用町)や村営キャバレー(秋田県旧仙南村)、純金のカツオ像(高知県中土佐町)などを設けた自治体もありました。
淡路島北部にあった津名町は1億円を担保に金塊を借り受け、町内の観光施設に展示します。
訪れた人は直接金塊に触れることができ、「さわると幸運になる」とも言われて評判を呼びました。
明石海峡大橋が開通した1998年には年間39万人もの観光客がどっと押し寄せました。
明石海峡大橋についての投稿はこちら
そんな金塊に何度か危機が訪れます。
2001年と02年の2度、盗人に狙われました。ともに未遂に終わりましたが、金庫ごと車で引っ張り出そうとする荒っぽい手口でした。
淡路・津名町 「1億」金塊あわや盗難
夜間侵入、金庫倒す
もう一つは、記事中にもあるサッカー・ワールドカップでした。
イングランド代表が津名町をキャンプ地としたのですが、チームは勝ち進み、ベッカム選手らの人気もあって警備費などの財源が足りなくなりました。
苦肉の策として持ち上がったのが「金塊の売却」です。
ただ、さすがに町随一の観光資源には手を付けられなかったようです。
最終的に基金を取り崩して対応しました。
津名町 金塊売却せず
イングランドキャンプ費用
不足分は基金崩す
危機を乗り越えてきた金塊に時代のうねりが押し寄せます。
「平成の大合併」です。
津名町を含む津名郡の5町が合併し、2005年4月に淡路市が誕生します。
さすがの竹下首相もこれほど市町村合併が進むことを予想していなかったのでしょうか。それともふるさと創生事業がそれほど長くは続かないと思っていたのでしょうか。
津名町では合併を前に、町の「遺産」について意見が割れます。
津名町1億円金塊 売っちゃえば!?
全町議が売却要望
合併控え「町内会運営基金に」
「身勝手」ととらえられそうですが、身近な町のシンボルが合併によってどうなるのか心配する気持ちも理解できます。
金塊は合併後も展示され続きましたが、とうとう終わりの時を迎えます。
原因は金の高騰と、観光客の減少でした。
役割を終えたと判断され、展示は2010年5月に終了しました。
1億円金塊の展示終了
20年間で377万人
見学あす返還セレモニー
20年で377万人。旧津名町の人口が2万人弱だったことを考えれば、立派な数字です。ふるさとをもり立てたと言えるでしょう。
展示の終了後、いったん市の基金に積まれた1億円ですが、淡路市は使い道を全戸アンケートなどで探ります。
その結果、金塊はなんとバスに生まれ変わります。
淡路市 乗れば幸運!?
金色のバス 来月から運行
記念式典で披露
金塊は返還されましたが、実は今も見学できます。
津名町時代の1989年から2010年5月まで金塊が展示されていた「静
(しず)の里公園」にはレプリカですが、4つの「金塊」が展示されています。
本物なら4億円相当ですが、黄金に輝く金箔の下はアカマツだそうです。
<播州人3号>
1997年入社。ふるさと創生と金塊はなかなか結びつきません。もしも当時の津名町担当だったら、1億円を金塊に使うことにどんな原稿を書いたかと考えてしまいました。町長の提案に、町職員や議会のほか、国からも反対や疑問の声が上がったようです。そんな声をはねのけ、展示に踏み切るとは相当の覚悟だったでしょうね。
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