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山の向こうに広がるニュータウン、須磨・妙法寺駅界わい

六甲山系の山々と海の間に街が広がる印象の強い神戸ですが、山の北側にも大規模な住宅地が点在します。「山、海へ行く」とも言われ、高度経済成長期に山林を切り崩して誕生したニュータウンです。神戸市須磨区にある地下鉄妙法寺みょうほうじ駅周辺の魅力を、播州人3号がお伝えします。

きっかけは販売店の所長さんとの会話でした。
「私の担当する妙法寺にもいいところがいっぱいありますよ」
絶好のお題をいただき、さっそく過去記事をまとめてみました。

神戸市西部の須磨区や西区は今では想像もつきませんが、元々広大な山林でした。

1970年代の須磨ニュータウン造成地

その山が大規模に削られ、削られた土で海が埋め立てられました。
誕生したのが、世界初の海上都市「ポートアイランド」です。

港湾施設と住宅地が広がるポートアイランド。奥に見えるのは神戸空港

削り出した多量の土を運んだのは、なんとベルトコンベヤーでした。

須磨ベルトコンベヤー
稼働40年 都市開発支える
「山、海へ行く」の象徴

 山、海へ行く―。
 神戸の都市開発のキャッチフレーズそのままに、今も山の土を海へ運び続けている「須磨ベルトコンベヤー」が、稼働から丸40年を迎えた。長年、地域経済を陰で支えてきたが、来年度の神戸空港完成で役目を終え、順次、撤去される予定。長大な施設を歩き、時代の変遷をたどった。
 総延長14・5キロ。出発点は神戸市西区の産業団地の造成地にある。里山を取り崩した大量の土砂が、かすかな土煙のなか、振動音を響かせて流れていく。大部分は地下のトンネルを通り、須磨海岸の桟橋まで運ばれる。
 “ダンプ公害”の生じない画期的な土砂運搬手段として、神戸市が1964年に運用を始めた。当初、海岸から約1・5キロの高倉山までだったが、その後、さらに奥地へ伸び続けた。削られた山はニュータウンに姿をかえ、海上にはポートアイランドなど巨大な人工島が誕生した。現在は空港埋め立て地への投入が続く。
 この手法は80年代、ポートアイランドで開催された博覧会の成功で、さらに注目を集めた。しかし、環境保全への関心が高まり、バブル崩壊と震災で市が深刻な財政難となった今、従来の開発行政は見直しを余儀なくされている。
 桟橋上に立ち、途切れることなく運ばれる土を見ていると、一つの時代が終えんへとひた走っているかのよう。その先の海の向こうに、かすみに包まれた空港島が、ぼんやりと浮かんでいる。

(2004年4月23日夕刊より)

土砂をベルトコンベヤーで運ぶ手法は、排ガスや騒音の防止策として考案され、公害が社会問題化した高度成長期にあって斬新だったようです。

運搬能力は1時間に約9000トン。
操業開始から41年間で計約5億7800万トンの土砂を運搬し、内陸部約1200ヘクタール、臨海部約1700ヘクタールの土地を整備したそうです。運んだ土砂は大阪ドーム258杯分。想像もつきません。

各ニュータウンと都心部の三宮とを神戸市営地下鉄が結びます。
いくつかの駅にはイメージテーマがあり、妙法寺駅は「秋」です。

地下鉄駅のテーマなどのコラムをまとめた投稿はこちら

休日の妙法寺駅前は、リュックを背負ったハイカーらで賑わいます。
目指すのはニュータウンではなく、スリル満点のハイキングコースです。

駅から住宅街を10分ほど歩き、しばらく山道を進めば、こんな景色に出合えます。

ハイカーら心地よい風
神戸・須磨アルプス

 兵庫県内が広く秋晴れに包まれた9日、各地の山々は多くの登山客らでにぎわった。最高気温は神戸で29・6度、姫路で30・8度など残暑に見舞われたが、山上には爽やかな風が吹き抜けた。
 神戸の市街地に近く、六甲山系の西端に位置する「須磨アルプス」は、朝から山歩きを楽しむハイカーや家族連れらが数多く訪れた。切り立った岩場が連なる尾根「馬の背」では、恐る恐る足を運びながら景色を眺めたり、記念撮影をしたりしていた。

(2021年10月10日付朝刊より)

「馬の背」と言いますが、狭いところは30センチほどの幅で、スリル満点です。写真には住宅街が移っており、その近さが感じられます。

「須磨アルプス」は、神戸市須磨区から宝塚市までの六甲連山の尾根を踏破する「六甲全山縦走」のコースの一部にもなっています。

上の地図の横尾山と栂尾とがお山の間に「馬の背」はあります。
写真で見ると、恐ろしげな印象で、危険も伴いますが、親子連れが歩いていることもあります。

馬の背周辺の素晴らしい眺望とともに撮影したバイオリン演奏の動画もご覧ください。
ドローンで撮影しているため、ニュータウンや神戸市街との位置関係も分かりやすいと思います。

<https://www.kobe-np.co.jp/info/dx/himicon/movie001/movie.html>

山林を切り開いた新しい街というイメージの強い妙法寺駅周辺ですが、歴史のある寺や史跡も近くにあります。

駅の名前にもある「妙法寺」が近くにあります。

妙法寺
源平の盛衰見守り

 冷え込む境内に、たいまつと線香の煙が立ち込める。太鼓とほら貝が鳴り、木彫りの面に白と黒の麻の衣装、かずらとふんどし姿の鬼が一人、また一人。火をかかげ、踊りながら本堂の廊下を歩いていく。1月3日に行われる追儺(ついな)式には、新年の多幸を祈り、多くの参拝客が訪れる。
 鬼は毘沙門天(びしゃもんてん)の化身で、起源は平安時代とされる。一族の伊勢参りの道中を表す踊りは単調で、面も黒目に穴を開けないなど、最も古い形を残す。
 寺は奈良時代の738年、聖武天皇の勅願所として僧行基によって開かれた。その後、37坊の七堂伽藍を持つまでに発展。周囲に点在する「大門」「護摩谷」などの字名や国指定重要文化財の本尊・毘沙門天像などが、栄華を今に伝える。
 この地を「王城鎮護の霊場」として保護したのが、兵庫に福原京を築いた平清盛だった。寺が福原京の北西「乾」の方角にあたることから、平安京の北西に位置する京都の鞍馬寺になぞらえ「新鞍馬寺」の名を与えられた。清盛は寺領一千石余りを寄進したという。大輪田泊の築造祈願に用いたとされる曼荼羅(まんだら)も伝わり、新都の安寧に心を砕いた清盛の姿が浮かぶ。
 だが願いは届かず、福原京は半年で廃され、平家一門も滅亡した。寺には源氏の武将で、弓の名手とうたわれた那須与一の位牌(いはい)も安置され、近くにはその墓所が、住民によって手厚くまつられる。
 摂津と三木を結ぶ街道として人々が往来し、農民らが五穀豊穣(ほうじょう)を祈って暮らした寺周辺。阪神大水害や空襲にも遭い、戦後はニュータウン開発で様変わりしたが「伝えられるものは大切に残していきたい」と加住職。雨上がりの境内に、変わらない川のせせらぎと鳥のさえずりが響いていた。
〈メモ〉
 南北朝時代の「観応の擾乱(じょうらん)」で寺院の大半が焼失した。本堂の南約300メートルに大門や中門跡の石碑が残る。縁日は那須与一の命日にちなみ毎月7日。
〈アクセス〉
 神戸市営地下鉄妙法寺駅の東約500メートル、徒歩約10分。

(2012年3月1日付朝刊より)

ほかにも源平合戦の屋島の戦いで弓の名手として名をはせた那須与一なすのよいちの墓などもあり、ハイキングだけでなく、史跡を歩いて巡る小旅行でも十分楽しめそうです。

<播州人3号>
1997年入社。「ぬめり石」「アチラムキ」「イヤガ谷」。いずれも妙法寺駅周辺の変わった地名です。教えてくれたのは投稿にも出てくる販売店の所長さんです。さすがは地域のことを熟知していました。

#神戸 #須磨 #妙法寺 #ニュータウン #馬の背 #須磨アルプス #ベルトコンベヤー #那須与一