見出し画像

「ふむふむ」「そうなん?」「う~ん」。そんな声が漏れるはずです。「生きヘタさん」たちが本音を書き込んだ投稿を読めば

生きるのヘタ会?」をご存じですか。神戸新聞が紙面と電子版「神戸新聞NEXT」で取り組むコーナーです。何となく生きづらい、どこかもやもやする―。そんな経験を取り上げ、読者の皆さんらの声を募っています。寄せられた投稿の中から、読めばふと考えさせられる「生きヘタさん」たちの本音を、播州人3号が紹介します。

「生きるのヘタ会?」についての以前の投稿はこちら

漫画家、細川貂々てんてんさんとのコラボ企画として2年前にスタートしました。正式名称は「生きるのヘタ会? てんてん×神戸新聞」です。当事者のインタビューだけでなく、専門家のアドバイスや細川さんのエッセー漫画も掲載しています。

テーマは多岐にわたります。例えば「親子関係の悩み」や「コミュニケーションが苦手」「家族が精神疾患」など。
これまでに当事者として女優の南野陽子さんや宝塚歌劇団の元花組トップスターで女優の愛華みれさん、落語家の桂文福さん、プロ野球オリックス・バファローズのコーチ小谷野栄一さんらに話をうかがいました。

「生きるのヘタ会?」の特設サイト(無料)はこちら

病気や障害のことを載せる医療のページやくらしのコーナーは各新聞にありますが、もやもやを感じている人を対象にする機会はそう多くはありません。そういった人たちを「生きヘタさん」として取り上げ、話を聞きます。

投稿欄には、読んだ人が匿名で感想やアドバイスを書き込め、登録の手続きなしで全投稿を読むこともできます。
こんな声が寄せられました。

▼押し切られてしまう

 自己肯定感が低くて、気が弱いので、強く出られると、押し切られてしまいます。新型コロナウイルスのワクチン接種反対の人に、「何でうつの!」と強く言われた時には、つい謝ってしまいました。先日も、職場で上司から言われた業務内容を新人に教えたところ、上司が間違った内容を私に伝えていたのに、新人から「あなたの言う通りにしたら違ってた」と文句を言われ、結局、私が悪者にされてしまいました。ずっとモヤモヤしています。=たあこさん(50代)

言った方はそう感じてなくとも、言われた方にはぐさりと刺さる言葉や、忘れられない記憶になることが分かります。
自分は違う、という人もいるでしょう。
ただ、そう感じる人がいることは理解できませんか。

企画のスタート直後、「生きヘタ」という表現に「けしからん」というお叱りを受けました。「一生懸命やっている人を『生き下手』なんて」というものです。
もちろん、こちらもけなそうとして使っているわけではありません。
生きるのヘタ会?」は細川貂々さんが宝塚市立図書館で開いている当事者向けの催しと同じタイトルを使っています。
ちょっとまどろっこしい説明になりますが、「翻訳」すればこんな感じでしょうか。

あなたも(そして当然私も)「生きるのヘタ(じゃない)かい?(「ヘタな部分ってだれだってあるやんな)」

人を傷つけるような内容でなければ、投稿はそのままサイトや紙面に掲載します。

▼自分にうそをつかず、本音を伝えられたら

 私は他人に自分の本音を話すことが苦手です。つい他人の顔色をうかがったり、他人の視線を気にしたり、嫌われたくないがために本音と違うことを言ってしまったり。いろいろな人の前で良い顔をして八方美人になってしまっているように感じ、後悔してしまいます。「自分の本音を言ったら嫌われるのではないだろうか?」と深く考えず、自分の気持ちにうそをつかず、素直に周囲の人たちに本音を伝えることができたら良いのになと思います。=りんごさん

別の紙面にはこんな声が掲載されました。

▼本音と建前を分けるのが苦手

 高校までは正直楽しい毎日で、つらいと思ったことはなかったです。状況が変わったのは大学に入ってからです。一気に広い社会という海に放りだされたかのように、私は居場所がなくなりました。たまに遊ぶのは、いつまでたっても中高時代の仲のいい2、3人。大学では周りにいる人間と仲良くしているフリをしてますが、実際のところ親友と呼べる人は1人もいません。人生で初めて人間関係という壁にぶつかりました。私はとても真面目だと言われるし、自分でもそうだと思います。でも、真面目で正直過ぎるが故に生きづらいだなんて何なんだよ、と言いたくなります。「大人なら少し本音と建前を分けなさい」。私はそれが苦手です。面白くないものは面白くないし、おいしくないものはおいしくない。それをはっきり言うと、周りから人がいなくなるのでしょうか?=keiさん(20代)

感じ方は人それぞれです。どちらが正解なんてありません。
2人に共通しているのは「もやもやしている」ということではないでしょうか。
カウンセリングを受けるほど深刻ではない。けれど「たいしたことではない」と受け流せない。皆さんにもそんな経験や記憶の一つぐらいありませんか。

投稿を読むと、驚くこともあれば、「なるほど」と納得することもあります。共感する機会も少なくありません。

▼母に意地悪言い自己嫌悪

 認知症が進んできている同居の母は、はた目には分からないタイプ。それで助かる部分と、イラつく部分とあります。元気で何よりで、ありがたいけれど、「要介護2」の母にイラっと意地悪なことを言ってしまう自分のことを、自己嫌悪になります。話せる人には本音を言ってますが、高齢の母にもし何かあったら、きっと今のイラついてる自分のことを許せない気持ちになるだろうな、と思います。もっと感謝しないとね、表現しないとね、後悔するよ、と分かっているのですが。=ちょびさん(60代)

お母さんへの自身の振る舞いを冷静に見つめる文章ですが、そう易々とは事が運ばないのが現実です。最後の「分かっているのですが」に気持ちがにじみます。

こちらの投稿はいかがですか。

▼恋愛の楽しみも味わいたかった

 中学高校時代に、容姿をいじられ、孤立し、人付き合いが怖くなりました。しかし、大学は気の合う仲間と過ごせたし、会社はフランクな人が多く、意外と居心地よく過ごせるようになりました。ただ、恋愛面はどうも縁がなく、愛される経験がなくこの年まできてしまったことが、大きなコンプレックスとなっています。私個人を一番に思ってくれる人は親以外にはいないんだという劣等感を抱き、その劣等感が昔の孤立の記憶と混ざって出てきてしまいます。普通を装いつつも人間関係にビクビクしたり、せめて嫌われないようにしなければと空回りしたり。一人でいることは苦ではないし、むしろ自由で気楽なので楽しんでいますが、この先、一生誰からも愛されることなく一人なのかと、ふと思うと泣けてきたりもします。もうこの年で恋愛は無理だと諦めてはいますが、そういう楽しみも味わいたかったな…。=みはなさん(50代)

年齢を重ね、過ぎ去った時間を振り返ると、その年月の大きさに愕然とすることがあります。できなかったこと、できたかもしれないことが次々に浮かんできてしまいます。
投稿を寄せた「みはなさん」もわれわれと同じように日常を過ごしていることでしょう。けれど、ふとした瞬間に、何となく、もやもやしてしまう。

播州人3号が一番共感したのはこちらの投稿でした。

▼人の顔を覚えられなくて

 顔を覚えるのが苦手です。学生時代にケーキ屋でアルバイトをしていた時は、混んだ店内でケーキを箱詰めしている間に自分が接客したお客様がどの人か分からなくなりました。(○○をお買い上げのお客様、と言ってお客様自身にレジまで来ていただくしかありません)。子どもの相手をしてくださった同じクラスのママさんが、数十分後に上着を羽織っていたら、さっきお世話になったのはこの方だったかな?と不安になります。芸能人も髪形が変わると同一人物だと分からないことがよくあります。名前を間違えたら失礼なので、自信が持てない方には話し掛けられません…。=つきはなさん(30代)

信じてもらえないかもしれませんが、全く同じです。

コラボする細川貂々さんから「生きるのヘタ会?」について、こんな話をうかがいました。

大きな駅の前の横断歩道。信号が変わると、一斉に向こうから人が渡り始めます。みんなすたすたと歩き、自分に向かってくるように感じます。けれど、その人たちがどこかにもやもやした部分のある「生きヘタさん」だと分かれば、怖そうに感じた人たちが違って見えくるはずです。

「自分だけじゃない」。すっと肩の力が抜けるような説明でしょ。
そして、そんな理解が広がることを願って「生きるのヘタ会?」は続いています。

今年1年の「生きづらかった」体験をこちらで募集中

<播州人3号>
1997年入社。学生時代、最寄り駅で父を見かけました。服装も髪形も眼鏡もいつもと同じ(ように見えました)。「今、帰りよんけ」と声をかけた直後、男性の驚く顔を見て「やってもた」と気付きました。別人でした。「世の中にそっくりな人は3人」の1人だったのかもしれませんが、この話は恐ろしくて父にはしていません。

#生きるのヘタ会 #生きヘタ #細川貂々 #もやもや #生きづらさ #顔が覚えられない