「ふむふむ」「そうなん?」「う~ん」。そんな声が漏れるはずです。「生きヘタさん」たちが本音を書き込んだ投稿を読めば
「生きるのヘタ会?」をご存じですか。神戸新聞が紙面と電子版「神戸新聞NEXT」で取り組むコーナーです。何となく生きづらい、どこかもやもやする―。そんな経験を取り上げ、読者の皆さんらの声を募っています。寄せられた投稿の中から、読めばふと考えさせられる「生きヘタさん」たちの本音を、播州人3号が紹介します。
「生きるのヘタ会?」についての以前の投稿はこちら
漫画家、細川貂々さんとのコラボ企画として2年前にスタートしました。正式名称は「生きるのヘタ会? てんてん×神戸新聞」です。当事者のインタビューだけでなく、専門家のアドバイスや細川さんのエッセー漫画も掲載しています。
テーマは多岐にわたります。例えば「親子関係の悩み」や「コミュニケーションが苦手」「家族が精神疾患」など。
これまでに当事者として女優の南野陽子さんや宝塚歌劇団の元花組トップスターで女優の愛華みれさん、落語家の桂文福さん、プロ野球オリックス・バファローズのコーチ小谷野栄一さんらに話をうかがいました。
「生きるのヘタ会?」の特設サイト(無料)はこちら
病気や障害のことを載せる医療のページやくらしのコーナーは各新聞にありますが、もやもやを感じている人を対象にする機会はそう多くはありません。そういった人たちを「生きヘタさん」として取り上げ、話を聞きます。
投稿欄には、読んだ人が匿名で感想やアドバイスを書き込め、登録の手続きなしで全投稿を読むこともできます。
こんな声が寄せられました。
言った方はそう感じてなくとも、言われた方にはぐさりと刺さる言葉や、忘れられない記憶になることが分かります。
自分は違う、という人もいるでしょう。
ただ、そう感じる人がいることは理解できませんか。
企画のスタート直後、「生きヘタ」という表現に「けしからん」というお叱りを受けました。「一生懸命やっている人を『生き下手』なんて」というものです。
もちろん、こちらもけなそうとして使っているわけではありません。
「生きるのヘタ会?」は細川貂々さんが宝塚市立図書館で開いている当事者向けの催しと同じタイトルを使っています。
ちょっとまどろっこしい説明になりますが、「翻訳」すればこんな感じでしょうか。
あなたも(そして当然私も)「生きるのヘタ(じゃない)かい?(「ヘタな部分ってだれだってあるやんな)」
人を傷つけるような内容でなければ、投稿はそのままサイトや紙面に掲載します。
別の紙面にはこんな声が掲載されました。
感じ方は人それぞれです。どちらが正解なんてありません。
2人に共通しているのは「もやもやしている」ということではないでしょうか。
カウンセリングを受けるほど深刻ではない。けれど「たいしたことではない」と受け流せない。皆さんにもそんな経験や記憶の一つぐらいありませんか。
投稿を読むと、驚くこともあれば、「なるほど」と納得することもあります。共感する機会も少なくありません。
お母さんへの自身の振る舞いを冷静に見つめる文章ですが、そう易々とは事が運ばないのが現実です。最後の「分かっているのですが」に気持ちがにじみます。
こちらの投稿はいかがですか。
年齢を重ね、過ぎ去った時間を振り返ると、その年月の大きさに愕然とすることがあります。できなかったこと、できたかもしれないことが次々に浮かんできてしまいます。
投稿を寄せた「みはなさん」もわれわれと同じように日常を過ごしていることでしょう。けれど、ふとした瞬間に、何となく、もやもやしてしまう。
播州人3号が一番共感したのはこちらの投稿でした。
信じてもらえないかもしれませんが、全く同じです。
コラボする細川貂々さんから「生きるのヘタ会?」について、こんな話をうかがいました。
大きな駅の前の横断歩道。信号が変わると、一斉に向こうから人が渡り始めます。みんなすたすたと歩き、自分に向かってくるように感じます。けれど、その人たちがどこかにもやもやした部分のある「生きヘタさん」だと分かれば、怖そうに感じた人たちが違って見えくるはずです。
「自分だけじゃない」。すっと肩の力が抜けるような説明でしょ。
そして、そんな理解が広がることを願って「生きるのヘタ会?」は続いています。
今年1年の「生きづらかった」体験をこちらで募集中
<播州人3号>
1997年入社。学生時代、最寄り駅で父を見かけました。服装も髪形も眼鏡もいつもと同じ(ように見えました)。「今、帰りよんけ」と声をかけた直後、男性の驚く顔を見て「やってもた」と気付きました。別人でした。「世の中にそっくりな人は3人」の1人だったのかもしれませんが、この話は恐ろしくて父にはしていません。