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「駅伝王国・兵庫」を築いた2人の名将

 冬の都大路を駆け抜ける「全国高校駅伝大会(男子第73回、女子第34回)」が25日、京都市のたけびしスタジアム京都を発着に行われます。兵庫県からは6年ぶり7度目の男女優勝を果たした西脇工業が出場します。男子チームは過去8度の優勝を誇る名門です。
 かつて「兵庫を制すれば、全国を制す」と言われたほど、兵庫の高校駅伝はハイレベルでした。それを支えたのは、西脇工業を率いた名将・渡辺公二さんと、史上初の3連覇を含む6度の優勝に輝いた報徳学園の元監督鶴谷邦弘さん(故人)の2人でした。西脇工VS報徳は長年ライバル校として互いに切磋琢磨し、「駅伝王国・兵庫」の一時代を築きました。
 2人が教育現場で、そして生徒の指導で積み重ねてきた数々の言葉、エピソードの記事が神戸新聞には数多く残っています。それをひもときながら、2人が語る「駅伝とは」に迫ります。

渡辺公二さん(右)と鶴谷邦弘さん

 本紙コラム「正平調」には、両校、いや2人の戦いぶりを記述した内容が並びます。以下の記事は1994年12月27日付朝刊で、西脇工業が4度目の全国制覇を果たしたときの掲載です。

敗戦をプレッシャーに変えて

 全国高校駅伝で見せてくれた男女百五校のランナーのファイトは、すばらしかった。身びいきもあり、とりわけ西脇工業、報徳、須磨女子の兵庫県勢三校の健闘が光って見えた◆ことに西脇工の高校日本最高記録2時間3分21秒には列島あげて驚嘆した。いつか2時間の壁を破る予感さえある、わくわくする快記録である。七人の気持ちをたすきに託し走り抜く「西脇工・心のたすきリレー」は着実な追い上げによる驚異の大逆転で完成の域に入った◆西脇工にはさらに連勝を続けてほしいとの思いがある一方、それを超えるチームの出現を願う気持ちも強い。男子五十八校の頂点に立った西脇工だが、快記録を支えたのは、他の五十七校のファイトである。中でも報徳の存在は大きい◆両校は、県大会、全国大会で幾度となく死闘を繰り広げた。一秒差で明暗を分けたこともあった。今年の西脇工は、県予選で報徳に敗れた。近畿大会で勝ち上がっての出場だったが、節目の記念大会でなかったら予選落ちだった◆負けたら次はどうするか。「敗戦で逆にプレッシャーがなくなった」と渡辺公二監督が言うように、即座の気分転換を図り次の目標に挑戦できるところに西脇工の強さがある。選手層の厚みもあるが、負けることを知った者の強さである◆広島県の元教師で”人間科授業”を提唱する八ツ塚実さんが「こころを育てる」(光雲社)の中でこう言っている。「試験に合格しろとばかり教えるのは間違いだ。不合格時にどう対処するかも教えねばならない」。西脇工の快走が、そのことを教えてくれた。

 渡辺さんの盟友であった鶴谷さんにまつわる「正平調」を拾ってみました。2018年1月30日に鶴谷さんが亡くなった後の2月1日にはこんな記事がありました。

「8」にまつわる物語

 グラウンドやスタンドで何度か話をうかがった。このほど73歳で亡くなった報徳学園高校の前陸上部監督、鶴谷邦弘さんである。記憶をたぐり社に残るたくさんの記事を読み返すうち、「8」にまつわる話が多いのに気づく◆西脇工業高校と覇を競いながら、駅伝王国・兵庫を築き上げた。なぜ強いのですか。根性論をどう思いますか。監督の役割って何でしょう。そんな問いへこう答えている◆「練習は腹八分がいい」。走れ走れでは、選手はやらされていると思ってしまう。余力を残せば、もっと走りたい、もっと練習したいと、選手自身が思うようになる◆「8の力で勝つ」。全国高校駅伝で初優勝したときの記事にある。10の力を10出せと言うのは酷で、8の力で勝てるようにするのが監督。そこに全力を注いだ人生だった◆「監督業の8割は我慢」。かつては選手を叱り「なにくそ」と思わせようとした。しかしうまくいかず、褒めることが大切と痛感したそうだ。だから練習で厳しく接しても、大会では絶対に怒らなかった。なるほど紙面の表情はどれを見ても穏やかだ◆記事を読み終えて、「8」の続きを思う。7人が力走のたすきをつなげたのは、ゴールで待つ8人目、あなたの笑顔が見たかったからではなかったのか。

6度目の全国制覇を果たし、インタビューに答える鶴谷邦弘さん=1996年12月22日

激闘の果てに抱く感謝

全国駅伝大会のスタートの様子

 「あの人がいたおかげで勝てた、なんてのは勝者の言葉。当時はきれい事じゃなかった」
 報徳学園高校陸上部前監督、鶴谷邦弘は、西脇工業高校を率いた渡辺公二を思い出し、ヒートアップしてきた。
 「そりゃ5連敗、6連敗したら工業はいない方がいいと思いますよ。代わりばんこに負けるならまだええけど」。報徳は1997年から県高校駅伝男子で西脇工に8連敗。全国大会では90年代、同校に6度の優勝を許した。
 渡辺とて気持ちは同じだ。83年から、西脇工は県6連敗。80年代は報徳に5度全国制覇された。「『くそーっ、鶴さんさえおらんかったらあと何回勝てたか』とか『鶴さん病気にならんかな』と思ったりしたもんな」
 渡辺は福岡、鶴谷は神戸育ちで、ともに日本体育大学出身。それぞれ、相手の性格をこう話す。
 鶴谷「先生はしつこいですよねえ、しつこい」
 渡辺「鶴さんはしぶとい、負けず嫌い」
 こんな2人が同じ県内に降り立った時点で、兵庫駅伝界の行く末はすでに決まっていたのかもしれない。
              ◇
 県大会では77~2008年の30年以上、両校が頂点を占めた。この間、2校の全国制覇は計14回。うち80、90年代には兵庫勢5連覇を達成した。
 互いに、中学生選手の勧誘をめぐって対抗したこともある。レース前には「鶴さん、顔色悪いが大丈夫か」などと心理戦を仕掛けたりもした。
 相手に食らいついて離れない。全国大会が5年に1度、記念大会を迎えると、一方が県大会で全国切符を逃しても“敗者復活戦”の近畿大会で必ず切符をつかんできた。
 89年の全国記念大会は報徳が優勝、西脇工が1秒差の2位。「あれは意地の差だった」と鶴谷。だとしたら、両校の意地は国内で突出していた。
              ◇
 思えば「渡辺・鶴谷劇場」の幕開けは78年だった。同年秋、2校は後にも先にも一度きりの合同練習をした。前年県大会を初制覇した西脇工に、報徳が願い出た。
 直後の県大会。「99・99%西脇工有利」(鶴谷)の前評判を覆し、報徳が20年ぶりに優勝する番狂わせを起こした。
 あれから30年。多くの観客を沸かせた劇場は、幕を閉じた。
 渡辺は言う。「鶴さんがおったからこそ、なぜ報徳を超えられないのか、精神面、技術面の課題を考え抜いて全国でも勝てるチームになった。兵庫であぐらをかいてたら全国で勝てなかったよ」
 鶴谷は、ひとしきり悔しい出来事を吐露した後、宿敵へ思いを込めた。
 「僕は甘いけど、渡辺先生は気持ちが強い。九州人特有の何かがあるんちゃいますか。振り返れば、相手が先生やったからうちも頑張れた」
                             (敬称略)

(2010年11月3日神戸新聞朝刊掲載)

 上記は私がとても好きな記事です。2人が一線から退き、互いが歩んだ道のりを振り返る連載「にんげん 渡辺公二 西脇工業高校陸上部前監督」の一部です。渡辺さんの「鶴さんがおったからこそ、全国でも勝てるチームになった」の言葉が心に刺さります

 コラム「正平調」ではありませんが、本紙の「論」という寄稿欄で、鶴谷さんの文章を見つけました。興味深い文章なのでどうぞご覧ください。

スポーツは「人間づくり」

 保健体育教師として母校に赴任して以来、陸上競技の指導を通じて十代の若者と接してきた。学校教育の基本は「人間づくり」。あいさつや礼儀作法、他人に感謝する気持ちの大切さを重視し、「社会人として他人から信用される人間に」と説いている。陸上競技をはじめスポーツ活動も例外ではない。生活態度が悪い生徒が、試合で力を発揮できるわけがない。
 とはいえ、若いころは「頂上を目指せ!」と意気込み、スパルタ式の猛練習を課したこともあった。さまざまな失敗を経験したことで、ようやく「結果より経過」と思えるようになった。かつては厳しくしかり、「何くそ」と思わせることが重要だったが、今の子どもたちには「褒めること」が一番。練習では厳しく指導しても、試合では怒らない。そのためには選手との間に信頼関係を築いておく必要があるが、この信頼関係がなければチームが実力を発揮することはできない。
 最近は運動会の徒競走で順位を付けない学校もあるようだが、勝者と敗者がきっちりと出るスポーツに、「公平」という発想はふさわしいのだろうか。負けることでしか得られないことは多い。駅伝では選手の「勝ちたい」という闘争心を引き出すことも大切だ。
 一九八〇年の全国高校駅伝で過去最高の二位に入った。トップとはわずか五秒差だった。周囲は祝福してくれたが、落ち着いて考えてみると、その五秒差を詰めることがいかに難しいか―に気付いた。正月に須磨海岸で寒中水泳をさせるようになったのは、このころから。二位という結果に満足することがないよう、いろんなことを考えた。翌八一年に初めて全国制覇を果たし、つたない指導者に付いてきてくれた選手たちに感謝した。

 八三年から全国三連覇を達成したが、その後は同じ兵庫県の西脇工業高校に勝てないこともあった。全国大会で勝つよりも、県大会で勝つ方が難しかった。よきライバルに恵まれることも、チーム力向上に不可欠な要素だと感じる。
 各界で活躍する教え子たちの姿を見るのは、何よりもうれしい。バルセロナ、アトランタ、シドニーと三大会連続で五輪に出場し、百メートルの日本記録を持つ伊東浩司は、今は甲南大陸上部で後進の指導に当たっている。実業団で活躍する選手や指導者も多いが、高校時代に無名だった選手が頑張ってくれると、「指導者をやっていてよかった」と思う。
 卒業生や保護者らが集まる機会が多いのも、報徳学園陸上部の伝統だ。陸上を通じて知り合った人たちが、今でも「ファミリー」として顔を合わせ、昔話に花を咲かせるのは本当に楽しい。昨年末の全国高校駅伝を最後に監督を退く決心をしたところ、多くの関係者が応援に駆けつけてくれ、チームも四位入賞で花を添えてくれた。
 阪神・淡路大震災で自宅が全壊したときも、いろんな人たちの支援を受けた。周囲に支えられたおかげで、三十八年間も監督生活を送ることができた。お世話になった一人ひとりに感謝の気持ちを伝えたい。
 今後は総監督としてチームを見守ることになった。新しく監督に就いた平山征志も教え子の一人だが、先ごろ長野県で開かれた「春の高校伊那駅伝」では幸先よく優勝を果たしてくれた。重圧もかかるだろうが、失敗を積み重ねながら、指導者としての器を広げていってほしい。

(2005年3月28日神戸新聞朝刊)

 最後に両校の関係を言い得ている私のイチオシ「正平調」をご覧ください。

 テレビドラマの「必殺仕掛人」は、ある人気番組を乗り越えたい一心でつくられたそうだ。少し前に放送が始まって話題を呼んだ「木枯し紋次郎」である◆もっと魅力的な時代劇をつくれないか。時代小説を読みあさり、映画監督をくどき、「圧倒的な迫力」の番組をつくろうとした。「打倒、紋次郎」というライバル心が生みの母だったと、「時代劇は死なず!」(春日太一、集英社新書)で知った◆テレビドラマのそんな裏話をつい思い出しながら、今年の水泳世界選手権を見た。個人6種目挑戦という萩野公介選手に関心が集まったが、金メダルを手にしたのは同世代の瀬戸大也選手である。ライバルの活躍を見て「火が付いた」というコメントに実感がこもる◆相手は小学生のころから「怪童」と呼ばれていた。その背中を追いかけても追いかけても、どうしても届かない。昨年の五輪にも出られなかった。でもいつか追い抜きたい。その気持ちが、最後の力を生んだように見えた◆兵庫県の高校駅伝とも重なる。王国と呼ばれるようになったのは、西脇工と報徳の存在が大きい。いつも競り合う緊張感が基礎を築いた。報徳を率いた鶴谷邦弘さんが西脇工の渡辺公二さんのことをこう語る。「渡辺先生があっての僕」。挑む心と敬意が言葉に宿る◆あの人に勝ちたい。あの組織には負けられない。いつの時代もライバルとは人の心を研ぐ砥石(といし)のようだ。

(2018年8月8日神戸新聞朝刊)

<ド・ローカル>
 1993年入社。ついつい気になって見入ってしまうのが駅伝です。特に高校駅伝は。故郷への愛着でしょうか。何が起きるか分からないサプライズ性でしょうか。懸命にタスキをつなぐ生徒たちの真剣な姿に引きつけられるのでしょうか。25日は久々に都大路で西脇工業の姿を目にすることができます。古豪・復活なるか、期待が高まります。


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