「鉄橋」でなく、「陸橋」でもなく、「歩道橋」でもない。歩行者も自転車も車も通ることがありますが、ひっくるめて「跨線橋」と呼びます。一言でいうなら「鉄道を跨ぐ橋」です。レトロなものから、新たに建造されたものまで播州人3号が紹介します。
「開かずの踏切」という恐ろしい言葉が使われだしたのはいつごろからでしょうか。跨線橋には線路や踏切でアクセスが中断されるのを防ぐ狙いがあります。
瀬戸内に複数の線路が伸びる兵庫では珍しくありません。
「コセンキョー」という言葉が日常的に交わされています。
令和に完成した跨線橋です。
令和跨線橋22日開通 たつの
南北アクセス改善期待
姿を消したものもあります。
神戸市にあるJR灘駅では、昭和初期に完成した跨線橋の解体前に渡り納めのイベントが開かれていました。
完成から80年余、消える「昭和」
市民らがツアー企画「最後のお別れ惜しむ」
撤去後、駅が橋上化されました。
南北結ぶ歩道橋が完成
JR灘駅 遠回りを解消
注目は、ここでの呼び方です。
以前と同じような構造なのに「跨線橋」ではなく「歩道橋」としています。
「跨線橋」には線路を跨ぐという形態以外に「郷愁を誘う」や「昭和な雰囲気を持つ」などの意味が込められているのかもしれません。
こちらは存亡が注目されている跨線橋です。
JR播但線の生野駅にあります。
跨線橋の撤去検討 JR、老朽化を理由に
朝来市長「存続求めていく」
文化財的な視点から保存されたものもあります。
国登録 旧小久保跨線橋
明治期の美しいアーチ
現役時代の写真です。
生活に根差した橋でもあったからでしょうか。
紙面で「跨線橋」を取り上げる機会が多いように感じます。
日本最古の跨線橋がかつて神戸市にありました。
工事の様子も大きく取り上げられていました。
大正時代の記事をたまたま見つけました。
見出しに「跨線橋」(傍線部)が使われています。
記事中では「架線橋」とも表現されていますが、「跨線橋」の方がしっくりときます。流行小唄に神戸が「踏切の都」とうたわれていたと初めて知りました。
<播州人3号>
1997年入社。JR姫路駅の西に「大将軍橋」という跨線橋がありました。駅周辺の高架化事業に伴い姿を消しましたが、長らく道案内の際の目印になっていました。ここを超えると姫路市街に来たという雰囲気でした。JR山陽線、山陽新幹線、山陽電車が集まる場所で、跨線橋なのに渋滞することで有名でした。
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