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「お金」にまつわる記事3選

「金は天下の回りもの」「金の切れ目が縁の切れ目」「金のなる木」―。

お金にまつわる慣用句です。指折り挙げていくと、片手では足りず、両手でもあふれるくらい浮かぶ人もいるかもしれません。

多くの表現が生まれていることからも分かるとおり、価値観は人それぞれ異なるでしょうが、お金によって社会が回っているのは厳然たる事実です。

今回は、金欠だった学生時代、1万円札を千円札に両替し、お札の枚数を増やすことで気分だけでもリッチになろうとしていた私、シャープが、お金にまつわる記事を3つ、紹介したいと思います。

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まずは、「九州・沖縄サミット」の開催に合わせ、2000年に発行された2千円札の話題から。兵庫県内ではほとんど目にすることもなくなりましたが、当時は、斬新なデザインが注目を集めていました。

2千円札の裏側、何て書かれているの?

(2000年8月3日付夕刊より)

2千円札

 「二千円札に書かれた文章はどう読むの?」―。二千円札が七月に登場して以来、紙幣の裏に記された文章についての問い合わせが、神戸新聞社に多数寄せられている。新札が出回るにつれ、読めそうで読めない文字に気になる人も増えているようだ。「暑い日が続き、ただでさえいらだっているのに…」という人に代わり、大蔵省に聞いてみた。
 同省の理財局国庫課通貨係に尋ねると、絵は「源氏物語絵巻」=国宝、作者不詳、十二世紀作=の第三十八帖(じょう)「鈴虫・その二の絵」で、冷泉院(左側)とその父である光源氏の対面を描いた場面。久しぶりの親子再会で、冷泉院が畳から一歩乗り出し、床の上に座ることで父に会いたかった気持ちを表現している、とされる。文字は同帖の詞書(ことばがき)の冒頭部分だ。
 しかしオリジナルの絵巻には絵と文字は重なってはいない。厳密に言うと、絵は第二段の場面、文章は第一段の内容で、絵と文は一致しておらず、「デザインの際、別々にあった絵と文字を重ね合わせた」と説明する。

 ところで、肝心な詞書の読み方だが、実は下の部分が切れていて完全な文章になってはいない。
 「すゝむし」の題の後、「十五夜のゆふ(八字略)に宮おはしては(七字略)たまひつゝ念珠(七字略)」=図上=といった具合に、切れ切れになっていて、これでは古文が得意な人でも、意味を理解するのは不可能だ。
 同係も「口では説明しにくいので、大蔵省のホームページをのぞいてくれますか」とのこと。手元のパソコンで見てみると、紙幣になった部分と途切れた部分の両方を紹介したうえ、谷崎潤一郎の現代語訳=別掲=も掲載していた。

 全五十四帖もある源氏物語で、なぜ「鈴虫」の場面が選ばれたのか、さらに尋ねると、「現存する絵巻の中で芸術的に優れた絵であるとともに、物語の主人公である光源氏が描かれた数少ない場面だからです」という返事が返ってきた。
 ただ、日本を代表する名作の文章が切れ切れに掲載されるのには、やはり抵抗を感じる。また、紫式部が「お札にするのなら、もっといい場面があるのに」と指摘しないか、気になるところだ。
 
▼現代語訳(谷崎潤一郎「新々訳 源氏物語」巻七=中央公論社=より)
 十五夜の月がまだ影を隠している夕暮に、佛のお前に宮がおいでになりまして、端近くお眺めになりながら念誦(ねんじゅ)していらっしゃいます。若い尼たちが二三人、花を奉ろうとして閼伽坏(あかつき)の音や水の音などをさせて、世間離れのした仕事を忙しそうにしていますのも、たいそう哀れなのですが、例のお越しになりまして、「虫の音がしげく鳴きみだれる夕ぐれですね」と、…

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続いては、地経面に掲載されていたシリーズ「わが社のたからもの」から。世界的な貨幣処理機メーカー「グローリー」(姫路市)の原点であり、「機械遺産」にも認定されたものとは―。

夢をつないだ国産初の硬貨計数機

(2008年5月3日付地経面より)

グローリー

 円盤型の受け皿が回転すると、乗せられた大量の五円玉が遠心力で外側へ流れ、すき間から一枚ずつ押し出される。時計針に似たカウンターが、正確に硬貨の枚数を刻む。
 グローリー(姫路市)が一九五〇年に開発した国産第一号の硬貨計数機の一台が、本社ショールーム入り口で見学者を出迎えてくれる。硬貨に対応する機器の開発責任者・中村實(みのる)さん(55)は「基本構造は、今の機械と変わらない」と胸を張った。
 
 同社は一九一八年、電球やマッチなどを製造する企業の設備を修理する「国栄機械製作所」として、地元の資本家尾上作兵衛氏(故人)が設立した。当初は五人の小さな町工場。仕事は下請けの機器修理だけで、赤字続きだった。
 「いつか自社製品を作る」。二七年に社長となった三男の壽作(じゅさく)氏(故人)は、夢みていた。
 三七年には初の自社製品の農業用発動機を開発した。しかし、第二次世界大戦の空襲で会社は全壊。戦後、つくだ煮製造やクリーニング業などで経営を支えながら機器修理を続けて技術を高め、夢をつないだ。
 
 転機が訪れたのは四九年。技術者の力量を見込まれ、造幣局から硬貨計数機の開発依頼を受けた。しかし、まったくの手探り状態。造幣局にあったアメリカ製の計数機を持ち帰り、分解、研究した。軽量で扱いやすい構造に進化させた国産初の硬貨計数機は、こうして五〇年に完成した。
 処理能力は現在の機械に劣らぬ、一分間当たり約千八百枚。その後、五十円、百円など相次いで新硬貨が発行されたため、銀行などからの引き合いが相次いだ。同社は一気に全国企業へ駆け上がった。
 第一号の硬貨計数機は、夢をあきらめず、技術に磨きをかける大切さを伝えている。中村さんは「先人の開発精神と技術を、大切に引き継ぎたい」と話した。

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3本目は、1円玉のニュースです。電子マネーの普及などによって発行枚数が激減し、希少性が増した結果……。

たかが1円玉、されど1000円??

(2012年8月23日付夕刊より)

1円玉

 1円を笑う者は、1円に泣く―。お金の大切さを説く格言で、1円は安価の象徴として使われているが、昨年発行の一円玉はあなどれない。製造枚数が極端に少なく、コイン店では売値の相場が額面の千倍という。笑う者もいなくなるような“暴騰”に、業界の注目度も高まっている。
 6月下旬、大阪で収集家が集まるコインショーがあった。出店した「神戸コイン」(神戸市灘区)の1番人気は、「平成二十三年」の一円玉だった。やや安めの1枚900円に値段を設定したところ、約50枚もさばけたという。
 福家(ふけ)正憲社長(62)は「希少性の高さに人気が集中している。そのうち1500円くらいになるのでは」と、さらなる伸びを予想する。
 
 流通貨幣の取引では、指紋などの汚れがない「完全未使用」が主流で、人気のない年の一円玉でも100円が売値相場の最低ライン。それでも、1970年代以降の発行分は数百円単位にとどまっていた。
 造幣局によると、「平成二十三年」の一円玉は、45万6千枚発行。現在のデザインになった55年以降の年間平均発行数(7億7千万枚)の0・06%しかない。
 さらに、製造分はすべて記念品用の「貨幣セット」に充てられ、流通用は43年ぶりのゼロ。同局広報室は「消費税の導入前後に大量に発行し、十分な量が市場に出回っているため」と説明する。
 
 消費税が始まったのは、89年。釣り銭などで一円玉の需要が増え、91年までの3年間で75億5千万枚を供給した。
 だが、2000年代に入ると、最多の07年でも2億2千万枚と、一転して減少した。五円玉なども同様の傾向で、電子マネーの普及により、小銭の使用が減っている背景もあるとみられる。

 縮小傾向は今年も続いており、「平成二十四年」の一円玉発行予定は百万枚。下方修正される可能性もあるといい、福家社長は「2年連続で流通用が出ないかもしれんし、貨幣セットをいつもの10倍買っておいたよ」と笑う。

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個人的な感覚ですが、今回紹介したような、モノとしてのお金の話題は、いわゆる「読まれる記事」だと思っています。1円玉や千円札を知らない人はいませんし、冒頭でも触れた通り、日々の生活に密接に関わってくる存在だからです。

ただ、電子マネーや仮想通貨がさらに普及したらどうなるでしょう。貨幣や紙幣をやり取りしなくても、特に不自由なく暮らせるようになれば(現にそうなりつつありますが)、お金はモノから手段、概念に近くなります。そうなると、1円玉、千円札といってもピンと来ない人が増え、「読まれる記事」ではなくなっていくのかもしれません。


<シャープ>2006年入社。お得だと分かっているのに、電子マネーを使う踏ん切りがなかなか付かない。子どもの頃、「ギザ10」をカメラのフィルムケースにためていたことがあり、お釣りの中に混ざっているのを見つけると、今でもちょっと嬉しくなる。


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