ごきげんよう、ぶらっくまです。今回は近代建築の話題です。まずは今年2月に神戸新聞に掲載された、次の記事をご覧ください。
真珠会館 3月末で閉鎖/神戸の国登録文化財
日本真珠会館は、ミナト神戸の風情に満ちた「旧外国人居留地」の東南角に位置します。71年間にわたり、港町の移り変わりを見つめてきた建物です。真珠の検査などの際に必要な自然光を取り入れるため、大きなガラス窓を備えているのが特徴の一つです。
1995年の阪神・淡路大震災では館内の家具などは倒れたものの、ガラス1枚も割れず堅牢な建物であることが証明されたといいます。2005年、国の登録文化財に選ばれました。
神戸と真珠が結び付かない方もいるかもしれません。神戸は産地ではありませんが、古くから貿易港として栄えたことなどから真珠の取引が盛んに行われ、今も世界で流通する海水産真珠の約7割は、色やサイズをそろえて仮糸を通すまでの選別・加工が神戸で行われています。近年は中国での真珠人気の高まりもあって、取引地の中心の座は香港に奪われているようですが。
神戸で真珠産業が発展した背景には、国際貿易港だったことのほかに、真珠の養殖場が多い三重県や四国に近いという地理的条件もありました。また真珠の加工に必要な安定した自然光が、六甲山に反射して北側から得られたことも理由に挙げられます。
上の記事にあるように日本真珠会館は今年3月末で閉鎖されました。所有する日本真珠輸出組合(神戸市中央区)に先日問い合わせたところ、解体も含めて今後の計画はまだ未定で、建物は残っていますが、館内に入ることはできません。神戸新聞に残っている過去の館内写真をいくつか紹介します。
私も久しぶりに会館を外側から眺めに行ってきました。
ところで、モダニズム建築といえばル・コルビュジエやフランク・ロイド・ライト、日本では丹下健三や村野藤吾らが有名ですが、日本真珠会館を設計した光安義光氏(1919ー99)の名をご存じの方は少ないかもしれません。理由の一つとして、光安氏が兵庫県営繕課(当時)の職員、個人として取り上げられることが少ない公務員建築士だったことがあるとみられます。
くしくも、日本真珠会館が閉鎖されるのと時を同じくして、光安氏が手がけた別の建物の取り壊しが決まりました。設計者の名は知らなくても、その建物は多くの兵庫県民が知っている、兵庫県庁舎です。
兵庫県庁舎1、2号館解体/耐震不足、26年度から
記事にある県庁舎1~3号館はそれぞれ竣工時期が異なりますが、「三つ子」のように並んで立っており、光安氏が手がけたとされる1号館の設計が2、3号館にも踏襲されています。
県庁は災害時の対策拠点ともなるため、解体はやむを得ないのでしょうが、先述の日本真珠会館と同様、95年の阪神・淡路大震災にも耐えました。
今回の記事のタイトル「知られざる建築家 光安義光」は、1冊の本から取っています。刊行されたのは光安氏が逝去した翌年の2000年。その本を紹介する当時の神戸新聞の記事に、光安氏の建築理念や設計した日本真珠会館、兵庫県庁に関する記述があるので、最後にご紹介します。
「知られざる建築家 光安義光」刊行/調和と機能の官公庁建築群/地域に根差した80年の生涯
〈ぶらっくま〉
1999年入社、神戸出身。私事ですが、末尾の記事は入社2年目だった私が書きました。ただ正直、当時はそれらのモダニズム建築に、個人的には特段の思い入れはありませんでした。建築は好きでしたが、よりレトロでドラマチックなネオ・ルネサンスやネオ・バロックなどの方に目が向き、モダニズムは「無機質な古い建物」と映っていたような気がします。
今回、久しぶりに真珠会館を見て(外観だけですが)、華美な装飾を排しながらもダイナミズムを内包したデザインに「シブい」「美しい」「かっこいい」とくぎ付けになりました。年齢によってもこういう好みが変化するものなのでしょうか。