兵庫県出身の登山家に加藤文太郎(1905~36)がいます。同じ但馬出身の冒険家、植村直己(1941~84)にも影響を与えたとされ、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルになったことでも知られます。県内には文太郎ゆかりの地が残るほか、記念の催しなども開かれています。そんな偉大な登山家の足跡を播州人3号がたどります。
文太郎は社会人登山家の第一人者で、大正から昭和初期にかけ、パーティーを組まない「単独行」で数々の山を制しました。
30歳の若さで遭難死しますが、小説のモデルや漫画、音楽の題材にもなって広く知られます。
孤高の登山家 再び脚光
但馬出身、「六甲縦走」で鍛錬
小説、漫画、音楽の題材
「山を愛した姿」に共感
記事中にある「山の会」は12年前に結成され、文太郎の顕彰に取り組んでいます。
新温泉町出身 加藤文太郎
一般人に登山の道開く
業績顕彰へ「山の会」
講演、自然保護など企画
記事中にもありますが、出身地の新温泉町には文太郎の名を冠した施設があります。
「加藤文太郎記念図書館」です。
北アルプスをイメージした外観で、遺族から寄贈されたゆかりの品々が展示、収蔵されています。
多くの登山家らが先人の足跡をたどろうとするからでしょうか、ゆかりの地に案内看板が建てられたという記事もありました。
新温泉出身の登山家・加藤文太郎たたえ
墓に案内看板
浜坂の「お宿組合」
こちらの神社は新田次郎の小説で、象徴的な出会いの場として描かれています。
宇都野神社 新温泉町浜坂
隆盛極めた川下祭り
文太郎は当時暮らしていた神戸から、ふるさと但馬まで兵庫県を1人で歩いて縦断しました。
そのルートをたすきでつなぐイベントも開催されています。
神戸―浜坂 加藤文太郎ウオーク
雨に耐え 180キロゴール
100人で16区間 「偉大さ分かった」
親しんだ兵庫の山脈を文太郎はこう名付けました。
1面コラム「正平調」からです。
南北だけではありません。
文太郎には神戸市西部から宝塚市までの六甲山系を縦走した後、そのまま市街地を歩いて神戸の寮まで帰ったという逸話も残されています。
その距離は約100キロ。超人的な持久力です。
文太郎の歩いた六甲山系のうち、須磨の名勝を紹介する投稿はこちら
文太郎の名前は、但馬の地酒の銘柄にもなっていました。
登山家・加藤文太郎にちなんだ銘柄
新温泉に開設の酒蔵
杜氏の里から新酒第1号
米のうま味、気品を追求
ゆかりの地は文太郎が青年時代を過ごした神戸にもあります。
路地を取り上げた連載の1回です。
文学の薫り(4)新田次郎著「孤高の人」
身近な山、楽しむ暮らし 長田区池田上町
<播州人3号>
1997年入社。加藤文太郎を取り上げた小説に新田次郎の「孤高の人」と谷甲州の「単独行者」があります。同じ人物をモデルとしながら読んだ印象は大きく異なります。ともに分厚い本ですが、ぐいぐいと引き込まれ、実際には1歩も歩いてないのに、冬山の頂に立ったような気分になります。
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